1999年に結成されたシアトルの4ピース・バンドShusiroboのギタリスト、デイヴィッド・エインモによるワン・パーソン・プロジェクト。2006年に地元シアトルのレーベルPattern 25から1stアルバム『Random Portaits of the Home Movie』をリリース。プロデュースとミックスにブライアン・デック(モデスト・マウス、アイアン&ワイン、オーウェン)を、ゲスト・ミュージシャンにエイシャ(スムーシュ)、ダリアス・ミンワラ(ザ・ポウジーズ、プレストン・スクール・オヴ・インダストリー)、デイヴィッド・ウィークス(キンスキー、ザ・コップス)、グレイグ・マーケル、バーバラ・トレンタラーゲ(クルーキッド・フィンガーズ)らを迎えた同作は、タイトルどおり、両親が撮り貯めた古いホーム・ビデオからのサウンド・サンプリングをもとに、ロックはもちろん、ヒップ・ホップからトリップ・ホップ、クラウトロックまで溶かしこんだその過剰なまでの編集センスは、「フォー・テット、ノーツイスト、マウス・オン・マーズ、ディスメンバメント・プランが、ファクトリー全盛期のマンチェスターでパーティーを主催してるよう」「プライマル・スクリーム・スタイルのヴォーカル・ループの上に、ステレオラブのキーボードを、さらにその上に、ソニック・ユースのギターが乗っている」「ブライアン・イーノのギターに、ピンバック調のメロディー」等々、なんだかよくわからない、ありとあらゆる表現によって、各音楽誌にて絶賛される。翌年には来日も果たし、Oak、 Avengers in Sci-Fi、The Telephonesらと共演している。それから2年、LAのMush Recordsに移籍し、2ndアルバム『THERE IS LOUD LAUGHTER EVERYWHERE』が完成。ミックスにブライアン・デック、マスタリングにデイヴ・クーリー(デンジャー・マウス、プレフューズ73、マッドリブ、デーデラス)、ゲスト・ミュージシャンに、エイシャ(スムーシュ)、エリック・コーソン(ザ・ロング・ウィンターズ)、PJ・オコナー(レディオ4)、バートン・キャロル&バーバラ・トレンタラーゲ(クルーキッド・フィンガーズ)、グレイグ・マーケル、ダリアス・ミンワラ(ザ・ポウジーズ、プレストン・スクール・オヴ・インダストリー)等々、前作同様、書ききれないぐらいのインディー・スター達が集結し、ロックでエレクトロニックでヒップ・ホップなビートが、ダンスフロアを熱くする、とても下世話で、でも抗えない魅力を放つ傑作/問題作が誕生した。日本盤には、ノーバディ、ブーム・ビップ、デーデラス、アンティMCによるリミックス、ハー・スペース・ホリデイによる(xoxo, pandaテイストの)カヴァーといった具合に、レーベルメイトが総出演して、彼の移籍、そして日本デビューを祝福している。
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HEAD LIKE A KITE
木曜日, 12月 15th, 2011EARLIMART
木曜日, 12月 15th, 2011ロス・アンジェルスにて、アーロン・エスピノーザを中心に、1999年より活動を開始する2人組(結成当初は4人)。バンド名は、アーロンの故郷フレズノーとLAの中間にある小さな町の名前にちなんで付けられた。2000年、カリフォルニアのモデスト(グランダディの出身地)のインディー・レーベルDevil In The Woodsより1stアルバム『Filthy Doorways』にてデビュー。同年、2nd『Kingdom Of Champions』をリリースし、バンドとしても精力的に活動する傍ら、LA近郊、シルヴァー・レイクそばのイーグル・ロックに、自らのスタジオでもあると同時に、音楽的集合体でもあるThe Shipを設立。そこから、アーヴィン、シルバーサン・ピックアップス、レッツ・ゴー・セイリング、シー・ウルフなど、数々の好アクトを輩出するだけでなく、グランダディ、エリオット・スミス、フォーク・インプロージョン、ブリーダーズなどの作品制作に深く関わる。アーリマートとしては、2003年に、NYの大手総合エンターテイメント会社Palm Picturesと契約。EP「The Avenues」『Everyone Down Here』(グランダディのジェイソン・リトルが共同プロデュースとして2曲に参加)をリリース。米インターネット・メディアPitchforkにて、8.5ポイントを獲得するなど、高い評価を得る。翌年には、4thアルバム『Treble & Tremble』をリリース。3万枚以上のセールスを記録する。ライヴ活動も精力的に行い、ペドロ・ザ・ライオンとのツアーも成功させている。その後、メンバーも2人だけとなり、所属レーベルも閉鎖するなど、苦難の時を越えて、2007年8月、3年ぶりとなる5thアルバム『MENTOR TORMENTOR』(YOUTH-039)を、ライノの創設者リチャード・フースが2003年にスタートさせた総合エンターテインメント会社Shout! Factory内にアーリマートのために新たに設立されたMajordomo Recordsからリリース。2008年1月には日本デビューも果たす。3月にはSXSWで連日熱いプレイを披露し、なんとダリル・ホールの前座も務めた。そして、7月。前作から1年足らずという短いスパンでリリースされる6thアルバム『HYMN AND HER』は、前作同様、The Shipにてセルフ・プロデュースで制作。繊細でメランコリックな楽曲と唄心、そしてエンジニアならではの感性で編み上げられたサウンドスケープによるサイケデリアといった彼らの魅力が溢れんばかりに詰まっている。今回も収録されたアリアナ単独で作られた楽曲も素晴らしく、全体を通しても彼女の貢献度は特筆に価する。かつては恋人同士であり、今はともに音楽を創造する盟友である2人だからこそ創り出せた、インティメイトな肌触りに、感動せずにはいられない。このアルバムをひっさげて、2009年には来日ツアーを成功させている。その後、元GRANDADDYのジェイソンとアーロンとともにADMIRAL RADLEYを結成。2010年にアルバムをリリース。来日ツアーも成功させている。
TILLY AND THE WALL
木曜日, 12月 15th, 20112001年よりネブラスカ州オマハで活動する男女混合5人組。2004年、同郷の雄、ブライト・アイズことコナー・オバーストが運営するレーベルTeam Loveの第1弾リリースの1つとして、アルバム『Wild Like Children』にてデビュー。鮮やかかつアートなポップ・センス、男女混声のヴォーカルが織り成すハーモニー、ドラムレスでタップ・ダンサーを擁したユニークなステージワークを武器に、ブライト・アイズ、ライロ・カイリー、ゴー!チーム、オブ・モントリオールらとツアーを行い注目を集める。2005年には同アルバムがUKのMoshi Moshi Recordsよりライセンス・リリースされる。2006年、2nd『ボトムズ・オブ・バレルズ』リリース。同作がV2 Japanよりライセンス・リリースされ、日本でもデビューを果たす。同作を引っさげ、ヨーロッパ、オーストラリア、日本を、CSSやライトスピード・チャンピオンらとツアーし、レディング、リーズ、コーチェラ、そしてサマー・ソニックなどのビッグ・フェスティヴァルにも出演、各地を大きく沸かせる。2008年3月、エレクトロニック色を強めた必殺のアンセム「Beat Control」を、ツアーと通販のみ販売の7”、そしてデジタル・シングルとしてリリース。同年6月、3作目のアルバムとなる『O』をリリース。ブライト・アイズやララバイ・フォー・ワーキング・クラスでもお馴染みの同郷の名プロデューサーであるマイク・モギスのプロデュースによる同作は、キッチュなポップネス、フォーキーな唄心、パンキッシュな勢い等々、彼らの幅広い魅力があらゆるベクトルに爆発しながらも、ひとつの大きな世界観を形成するという、バンドとしての理想的なステージに上がったことを告げる大傑作。V2 Japanの閉鎖などの影響で、半年遅れてリリースされる日本盤には、キラー・チューン「Beat Control」も追加収録する。
BIBIO
木曜日, 12月 15th, 2011イングランドはウエスト・ミッドランズ在住のスティーヴン・ウィルキンソンによる1人ユニット。ユニット名は、幼い頃、父と釣りに行った際に使っていた毛針にちなんで付けられた。ロンドン大学でソニック・アーツを学んでいるときに、エイフェックス・ツインやオウテカ、ボーズ・オブ・カナダなどに出会い、大きな影響を受ける。ボーズ・オブ・カナダのマーカス・イオンによってUSはLAのMush Recordsに紹介され、2004年、同レーベルよりアルバム『Fi』でデビュー。アシッド・フォーク的なギター、ありふれた機材を使ったチープなエフェクト、カセットや壊れたサンプラーなどを使ったフィールド・レコーディングなどによる奇妙な、しかし愛すべき独特なサウンドは、インクレディブル・ストリング・バンドやジョアン・ジルベルト、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、トータス、そしてボーズ・オブ・カナダをはじめとしたWarp Recordsの面々を引き合いに出されながら、各誌で絶賛された。Urb Magazineでは”Next 100 Artists”に選出される。2006年には初のヴォーカルにも挑戦した2ndアルバム『Hand Cranked』をリリース。そのアシッドでアンビエントな世界観をさらに深め、気鋭のサウンド・クリエイターとしての地位を確固たるものとした。2007年にはクラークの「TED EP」にリミックスが収録され、また2ndアルバム収録曲がTOYOTAのCMに使用されるなど、話題を振りまく。そして2009年、Warp Recordsへの移籍という噂もまことしやかに流れる中、3rdアルバム『VIGNETTING THE COMPOST』が完成。前作以上にフィーチャーされたヴォーカルをはじめ、新しくも温かい、革新と郷愁を同時に感じさせるようなサウンドスケープを編み出す彼独自の手法が完全に確立。今後益々注目されるよう運命づけられたこの天才プロデューサーの、円熟期の到来を告げる傑作。
BOY IN STATIC
木曜日, 12月 15th, 2011ボストン出身のシンガー・ソングライターである台湾系アメリカ人アレクサンダー(アレックス)・チェンと、同じくボストン出身のドラマーである日系アメリカ人ケンジ・ロスによるデュオ。2004年にアレックスのソロ・ユニットとして1stアルバム『Newborn』でデビュー。ラップトップ、ギター、シンセ、ストリングスなどを全て独りでこなすホームレコーディング作ながら、その類まれなるセンスが、ドイツのThe Notwistを唸らせ、弱冠23歳が初めて作ったデモ3曲で、彼らが運営するレーベルAlien Transistorからのリリースを決め、大きな話題となり、ここ日本でも、輸入盤のみにもかかわらず、専門店を中心に驚異的な売り上げを記録した。Boy In Staticを始めるまでは、人前でバンド演奏をしたことがないという彼が、2005年には、The Notwistや、西海岸アンダーグラウンド・ヒップホップ界の雄Themselvesのメンバーで結成された13 & Godとヨーロッパとアメリカを共にツアーするという偉業を成し遂げる。そして2006年、Alien Transistorを離れ、Mush/& recordsに移籍し、2ndアルバム『ヴァイオレット』(YOUTH-010)をリリース。スロウダイヴやマジー・スターなどに影響を受けたシューゲイズ・サウンド、The Notwistや13 & Godなどに学んだエレクトロニクスとの自由な戯れ、幼少の頃から学んできたピアノやストリングスのオーケストラルな絡み、そしてそれらを全て優しく包み込む唄声が全編に溢れた傑作に。このアルバムを引っさげ、リンビック・システム、4 bonjour’s partiesとともに日本ツアーを敢行。そのツアーにもサポートとして参加していたケンジが、2008年より正式にメンバーとして加入。デュオとなる。そして2人体制となって初めてのレコーディング作となるのが2009年3月リリースの『CANDY CIGARETTE』。コーネリアスやハー・スペース・ホリデイらがそうであるように、アレックス=ボーイ・イン・スタティックだという認識であったファンは大いに驚いたが、さらに驚くのはこのサウンドであろう。BISのサウンドを表現するのにこれまではシューゲイザーというタームがよく使われていたが、彼らはもはや足元など見つめていない。ケンジだけでなく、ハー・スペース・ホリデイやウルリッヒ・シュナウスらもゲストに迎えて制作された本作には、これまでにないポジティヴさや開放感、そして眩しいばかりのポップネスに満ち溢れている。何度も聴くにつれ、最初の驚きや戸惑いが、大きな喜びに変わっている。そんな素敵な快作となった。日本盤には、アルバムに先行して本国で配信のみリリースされるデジタル・シングル「Young San Francisco」のカップリングとして収録されたリミックス3曲と、日本盤のみのオリジナル・リミックス3曲の、計6曲もの豪華リミキサー陣によるボーナストラックが収録される。
JOKER’S DAUGHTER
木曜日, 12月 15th, 2011ギリシャのキプロス島にルーツを持ちながら、ロンドンに生まれ育ったヴォーカリスト/ソングライター/マルチ・インストゥルメンタリスト、ヘレナ・コスタスによる1人ユニット。7歳から13歳までヴァイオリンを習い、その後独学でギターとキーボードを習得。そして、絶え間なく曲を書き、プロダクションを学び、ロンドン周辺で多くのショウをこなし、パフォーマーとしても成長していった。2003年に、ホーム・レコーディングのデモを、アーティスト/プロデューサーであるデンジャー・マウスに送り始め、そのやりとりは彼の名声が急速に大きくなっていく中でも続けられた。彼らはお互いの中に自然な類似性を認め、コラボレーションを開始する。それはこのジョーカーズ・ドーターというユニット、そして1stアルバム『THE LAST LAUGH』として結実する。ユニット名はヘレナの数多くの移り変わるペルソナの1つにちなんで名づけられた。ヘレナは、様々な領域の感情を表現できる稀有な才能を持ったヴォーカリストであり、ミュージシャンであり、パフォーマーである。そして今回、全面的にトラック・メイキングでフル参加しているデンジャー・マウスは、言うまでもなくゴリラズやベックといったビッグ・ネームのプロデュース・ワークのみならず、自身のユニット、ナールズ・バークレーではグラミー賞を獲得したほどの時代の寵児とも言うべき希代のアーティスト/プロデューサーである。彼ら2人の出会いが、息を呑むほど美しいフォーク・ポップを生み出し、それをブライト・アイズのコナー・オバーストが運営するレーベル、Team Loveからリリースされるということに強い運命のようなものを感じずにはいられない。また、同作にはホーンにニュートラル・ミルク・ホテルのスコット・スピレイン、ストリング・アレンジメントにデンジャー・マウスの近年のコラボレーターであるダニエル・ルッピも参加している。日本盤には先行シングル「Worm’s Head」のカップリング2曲をボーナストラックとして収録する。
SAXON SHORE
木曜日, 12月 15th, 2011マシュー・ドーティーを中心とする、ペンシルヴァニア出身の5人組インストゥルメンタル・バンド。2001年にマシューとドラマーのジョッシュ・ティルマンによって結成される。2002年、自身のレーベルBroken Factory Recordsよりアルバム『Be a Bright Blue』にてデビュー。その後、Burnt Toast Recordsと契約、メンバーを入れ替えながら、これまでに3枚のフルレングス、1枚のEPをリリースしている。特に2005年リリースの『ジ・エクスクイジット・デス・オブ・サクソン・ショア』は、フレーミング・リップス、モグワイ、ウィーザー、ナンバー・ガール、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー、MGMT等々を手がけてきたデイヴ・フリッドマンのプロデュースにより、彼らの繊細かつ凶暴なメロディー/サウンド・センスが開花。その驚異の完成度の高さが口コミで評判を呼び、ここ日本でも全国の輸入盤店でトップ・セールスを記録。同年のベスト・アルバムの1つに挙げる人も少なくなかった。その反響を受け、2006年3月、同アルバムが、バトルスのタイヨンダイ・ブラクストンのリミックスを追加して邦盤化。さらに同月には、大先輩であるトリステザとのカップリングにより初来日ツアーが実現。先駆者と新世代によるインストゥルメンタル/ポスト・ロック対決に全国が酔いしれた。それから早3年。その間、マシューはバルティモアに、オリヴァーとスティーヴンはブルックリンに移住したこともあり、レコーディングはゆったりとしたペースで行われた。そうやって、ようやく完成した4thアルバム『IT DOESN’T MATTER』は、前作と同じくデイヴ・フリッドマンを迎え、数々のツアーによってライヴ・バンドとして成長したこの5人によるパフォーマンスを生々しく捉えることに成功。さらに、Temporary Residenceから素晴らしいソロ・アルバムをリリースし、マイス・パレードのサポート・メンバーとしてフジ・ロック・フェスティヴァルにも出演したことのあるキャロライン・ラフキン(姉はJ-POPシンガーのOLIVIA)が参加した、初のヴォーカル曲である「This Place」や、オリヴァーとスティーヴンによるストリングス・アレンジを施した「Small Steps」など、新たな試みにも挑戦している。そして、それらがより開かれた空気をもたらし、より多くの人に聴かれるべきという意味で、史上最高に“ポップ”なアルバムとなった。このアルバムをひっさげて、2009年7月、再来日を果たし、日本のポスト・ロック・バンドsgt.とスプリット・ツアーを成功させている。
JEN WOOD
木曜日, 12月 15th, 2011シアトル在住のシンガー・ソングライター。1992年よりTattle Taleのメンバーとして活動を開始する。2枚のアルバムを残して解散した後、1996年、単身カリフォルニア州サンタ・クルーズに移住。そこでギターとヴォーカルだけで数々のポップ・ソングを制作。1998年に自身のレーベルRadar Lightからソロ・デビュー・アルバム『No More Wading』をリリース。同年、ザット・ドッグのヴァイオリニスト、ペトラ・ヘイデンも参加した2ndアルバム『Getting Past The Static』をリリースした後、再び故郷シアトルに戻る。同年にはさらにTree Recordsよりジョーン・オブ・アークのティム・キンセラとのスプリットEP、そして2000年には同レーベルよりEP「The Uncontainable Light」リリースしている。2002年、3rdアルバム『Traveling through Roots』でクアトロ・ディスクより日本デビュー。2003年にはザ・ポスタル・サーヴィスのアルバム『ギヴ・アップ』に参加。「Nothing Better」でデス・キャブ・フォー・キューティーのベン・ギバードとデュエットし、シングル「Such Great Heights」ではバッキング・ハーモニーを披露している。2004年、Face Hand Shyよりリリースされた日本限定EP「Jen Wood」を引っさげ、盟友Tomo Nakayamaらと共に来日、二階堂和美をゲストに迎え、全国7公演のツアーを成功させている。2009年、実に7年ぶりとなる4thアルバム『Finds You In Love』を日本大先行でリリース。その後、2013年に、ザ・ポスタル・サーヴィスの10周年記念再結成公演にゲスト出演するなどのトピックはありつつも、またしても沈黙を守ること5年、ようやく5thアルバム『WILDERNESS』が到着。これまでのアコースティック・ギターを置いて、全曲ピアノを中心に、シアトルの気の置けない仲間たちによる力強いバンド・サウンドを基調にしつつ、デジタルな要素も導入した、これまでの中でもっとも華やかなアルバムとなっている。そして、やはり特筆すべきは、そんなサウンドの中で、益々滋味に溢れ、さらなる表現力の高みに達したジェンの唄声。あくまでもマイペースに、しかし確実に先に進むことをやめない、表現者としての凄みすら感じさせる1枚。女性シンガー・ソングライター・ファンやUSインディー・ファンのみならず、すべての音楽ファンに届いてほしい傑作。
DAVID BAZAN
木曜日, 12月 15th, 2011シアトルを拠点に活動するシンガー・ソングライター。牧師の家に生まれ、幼少期から青年期にかけて、クラリネットやドラム、ピアノなどを習得し、ビートルズやトム・ぺティ、そしてフガジなどに大きな影響を受ける。1990年代初期には同郷の盟友ダミアン・ジュラードとバンドを組んでいたこともある。このときデイヴィッドはドラムを担当している。1995年にペドロ・ザ・ライオン結成(基本的にはデイヴィッド1人で、必要に応じて友人に参加してもらうという形態)。97年にクリスチャン・レーベルとして有名なTooth & NailからリリースされたEP「Whole」にてデビュー。98年に前述のダミアン・ジュラードも在籍したMade In Mexicoから1sアルバム『It’s Hard to Find a Friend』、99年に同レーベルからEP『The Only Reason I Feel Secure』をリリース。2000年にはキャップン・ジャズ、ジョーン・オブ・アーク、ザ・プロミス・リング、ジェッツ・トゥ・ブラジルなどを輩出したJade Treeと契約、2ndアルバム『Winners Never Quit』をリリース。同レーベルからは3rdアルバム『Control』(2002)、最後のアルバムとなった『Achilles Heel』(2004)がリリース、そして『It’s Hard to Find a Friend』と『The Only Reason I Feel Secure』がリイシューされている。2003年にはシンガー・ソングライターでマルチ・インストゥルメンタリストであるT.W. Walshが正式参加(後にも先にもデイヴィッド以外にペドロ・ザ・ライオンのメンバーとして正式にクレジットされたのは彼だけである)。2005年には突如デイヴィッドがギターをシンセサイザーに持ち替えて、T.W. WalshとともにHeadphonesを結成。モデスト・マウス、マイナス・ザ・ベア、エリオット・スミスなどをリリースするシアトルのレーベルSuicide Squeezeから1枚アルバムをリリースする(以後、特に何もなし)。その後、Walshが個人的な事情でバンドを離れたあと、2006年1月、ペドロ・ザ・ライオン“解散”が正式にアナウンスされる。以後、デイヴィッド・バザン名義での活動を開始する。同年、ヴィック・チェスナット、ウィル・ジョンソン、マーク・アイツェルらと結成したThe Undertow Orchestraとしてヨーロッパ・ツアーを行う傍ら、ソロ名義での初リリースとなるEP「Fewer Moving Parts」を、デス・キャブ・フォー・キューティーを輩出したことで知られるBarsukからリリース。これは5曲をフル・アレンジしたものと、アコースティック・ヴァージョンの2パターンが収録されている。この頃、デス・キャブ・フォー・キューティーのベン・ギバードと、ジョナサン・ライスとともに全米ツアーを敢行している。また、音楽ブログ・メディアStereogumのレディオヘッド『OKコンピューター』トリビュート企画にて「Let Down」のカヴァーを披露したのも話題に。さらにこの年は、Paste magazine誌にて「Top 100 Living Songwriters」に選出されるなど、デイヴィッドの存在感が本国アメリカ、そしてヨーロッパでも大きくクローズアップされた年となる。2008年10月にはインタヴューとホーム・スタジオ・ライヴで構成されたDVD『Bazan: Alone At The Microphone』リリース。そして2009年9月、遂に待望の1stフル・アルバム『CURSE YOUR BRANCHES』が到着。全ての楽器を自分1人で演奏し唄うという文字通りの完全ソロ作品で、ペドロ・ザ・ライオン時代からなんら変わらない、いやより一層滋味溢れるデイヴィッドの唄の魅力が全開。改めて彼が現代最高のシンガー・ソングライターの1人であるということを知らしめる、至高のデビュー・アルバム。
Guitar
木曜日, 12月 15th, 2011ドイツ、ケルンを拠点にデジタル・ジョッキー名義で活動するマイケル・ルックナーと、日本人ヴォーカリスト、アヤコ・アカシバによるプロジェクト。哲学の修士号を持ち、現在ドイツを代表する思想家、フリードリヒ・キットラーと共にメディア・サイエンスを研究する傍ら、ドイツ・ジャズのシーンでダブル・ベース、ギター、サックス、トランペットのプレイヤーとして活動していたというユニークな経歴をもつデジタル・ジョッキーは、1995年以降ウルフガング・ハゲドルンと共にコンピュータージョッキー名義で2000年、2001年と続けて作品を発表。そして2002年、ギター名義でリリースされた初のアルバムとなる『Sunkissed』は、全体にデジタルなビートと様々にトリート/パンされたディストーション・ギターのサウンドが見事な美しさをたたえつつレイヤードされ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインなど1990年代の良質なシューゲイザーを想起させるサウンドに仕上がっている。またアヤコ・アカシバと、ドンナ・レジーナの、儚く愛らしく歌声もこの作品を形作る上で重要な役割を果たしており、初アルバムにして卓越したポップ・センスが光る作品となった。このアルバムのデモを最初に聴いたのがモール・ミュージックのトーマス・モールとクリエイション・レコーズのアラン・マッギーで、アランもこのアルバムを大変気に入ったのだが、デジタル・ジョッキーは敢えてこの作品をモー・ミュージックからリリースすることにしたという。現在にいたる新たなネオ・シューゲイザー・ムーヴメントの先駆けとなった金字塔的アルバム(2009年6月、残響レコードより再発)。2004年6月発売の2ndアルバム『ハニースカイ』からアヤコ・アカシバを全面的にフィーチャー。2004年10月の<sonarsound Tokyo 2004>でのふたりの日本初ライヴは大反響を巻き起こした。2006年、3rdアルバム『ソルティーキッシズ』、4thアルバム『Tokyo』を同時リリース。2007年には5thアルバム『Dealin with Signal and Noise』をリリース。待望の来日ツアーも行った。そして2009年秋、待望の6thアルバム『Friends』が完成。タイトルが示すように、アカシバの身近な事柄への感謝の念を綴った日本語詞が全面にフィーチャーされ、またマイケルが紡ぎだすトラックもこれまでになく軽やかで快感指数が高い。両者の才能がまた違った形で化学反応を起こし、新しいポップの形を作り上げている。& recordsより世界独占リリースとなる。