UK最高のシンガー・ソングライターの1人と謳われるデイヴィッド・ルイス・ゲッジを中心とするカルテット。1985年の結成以後、メンバー・チェンジを繰り返しながらも『BIZARRO』や『SEAMONSTERS』といった誰もが認める名盤を残す。1997年に活動を休止し、以後ゲッジはソロ・プロジェクト的な色彩の強いCINERAMAとして活動する。次第に精力的なライヴ活動をするようになったCINERAMAのライヴ・メンバーがそのまま移行する形で、2004年より新生THE WEDDING PRESENTとしての活動を再開、シアトルでSteve Fiskをプロデューサーに迎えて制作された傑作『TAKE FOUNTAIN』を、自らのレーベルScopitonesよりリリース。さらに111公演にも及ぶワールド・ツアーを敢行するなど、精力的に活動。2008年にはSteve Albiniとタッグを組んだ『EL REY』をリリース、16年ぶりとなるジャパン・ツアーを含めたワールド・ツアーを成功させる。2010年には、名盤の誉れ高い『BIZARRO』発売21周年記念ツアーを敢行、日本でも実現し、2年連続来日となった。日本公演は、渋谷O-WESTにて、ゲストにbloodthirsty butchersとQomolangma Tomatoを迎えて行われ、御歳50とは思えない、圧倒的なヴォーカルと、歯切れのよいカッティングで、満員のO-WESTの観客を熱狂させた。そんな記念すべき来日公演の後半、まさにクライマックスである『BIZARRO』再現パートを全曲収録したライヴ・アルバムが2010年9月22日より、& records/Youth Inc.より、iTunes Store限定で、全世界独占配信を開始。各国から驚異的なダウンロード数を記録する。その後、圧倒的な要望に答え、完全限定日本独占CDとして、まだレコーディングされていない新曲を含む前半パートも収録したコンプリート版2枚組ライヴ・アルバムを2011年2月16日にリリース。過去に名盤を残した偉大なバンドというだけでなく、今がまさに旬のパフォーマンスをみせる現代最高のロック・バンドの一つであることを証明した。そして2012年、4年ぶりとなるスタジオ・アルバムが完成。ここ数年の活動の充実ぶりが結晶しかのような、ただただ最高の歌と演奏による最高のギター・ロックがそこに。このリリースに合わせ、北米を皮切りに初のオーストラリア公演、そして4度目となる日本公演を含む『SEAMONSTERS』発売21周年記念ツアーも企画されている。
Archive for 12月, 2011
THE WEDDING PRESENT
木曜日, 12月 15th, 2011+/- {PLUS/MINUS}
木曜日, 12月 15th, 2011ヴェルヴェッツ・チルドレン的なギター・サウンドと、繊細かつ美しいメロディーで、USインディー・ファンを魅了し続けているヴァーサス。NYにて20年以上活動する彼らの中核をなすバルユット兄弟の内、末っ子でギターのジェイムスがソロ・プロジェクトとして始めたのがこのプラス/マイナス。2001年に活動を開始し、2002年にはデビュー・アルバム『SELF-TITLED LONG-PLAYING DEBUT ALBUM』をリリース。そこでは実験的な要素が強かったが、ヴァーサスが実質上休止状態に入り、2003年4月に本国で、10月に日本でリリースされたEP『HOLDING PATTERNS』から、ドラムにクリス・ディーナー、もう1人のギター、ヴォーカルそしてソングライターとして、ヴァーサスのドラムであったパトリック・ラモスが加入し、本格的にフル・バンド化。同年11月にリリースされた2ndアルバム『YOU ARE HERE』でその評価を不動のものとする。これまでに4枚のアルバム、3枚のEPをリリース、来日も5度果たしていて、OGRE YOU ASSHOLE、HUSKING BEE、ACIDMAN、nhhmbase、toddle、Discharming man、タテタカコ、日暮愛葉 and LOVES!らと共演、ストレイテナーのホリエアツシも絶賛コメントを寄せるなど、日本でも確固たる人気を誇る。特にbloodthirsty butchersとは、the band apart、mock orange(the band apartが招聘したUSバンド)とともに、4バンドによるカップリング・ツアーを、2004年、2005年の二年連続行っているのをはじめ、これまでのすべての来日で共演(2008年のみ吉村秀樹ソロでVERSUSと共演)、2005年にはお互いの楽曲をカヴァーしあうスプリットEPをリリース(遅れて2007年にUSでもリリース)するなど、固い絆で結ばれている。また、mooolsとも、2006年、2008年と、二度のカップリング・ツアーを行い、2009年、パトリック抜きでの来日の際も、モールスの企画に出演。同年、来日記念盤としてリリースされたEP「THROWN INTO THE FIRE」にはmooolsのカヴァー「いるいらない」を収録するなど、縁が深い。上記2バンドの楽曲をカヴァーする際も、原語である日本語で挑戦、さらに日本のステージではほとんど日本語でMCをやり、さらにはありとあらゆる日本食を食いつくさんばかりのグルメであり…と、日本通として知られる。ポスト・ロックもエレクトロニカも飲み込んだ、21世紀のバンドが鳴らすべきサウンドの全てが詰まった3rd『LET’S BUILD A FIRE』(2005)、“バンド”としてのエッセンシャルな魅力に溢れた4th『XS ON YOUR EYES』(2008)に続いて、なんと6年という最長のインターヴァルを経て、5thフル・アルバムが到着。ライヴ活動もほとんど行っていないため、もはや活動していないのではと思われつつも、ただただ素晴らしいシンガーソングライターでありプレイヤーである3人が、じっくりスタジオに篭り、音楽と向き合って、突き詰めていった末に辿り着いた、普遍的な境地。なんの衒いもなく、大上段から振り下ろした、現代最高の“ロック”がここに。
CAROLINE
木曜日, 12月 15th, 2011沖縄出身の女性シンガー・ソングライター。本名はキャロライン・ラフキン。J-POPシンガーOLIVIAの実妹。各地を転々とした後、2003年、ボストンのバークリー音楽大学卒業。その後、東京に移住。メジャー・レーベルとの契約寸前まで行くが、姉同様にポップ・シンガーとして期待され、様々なことを強要されることを拒み、自身の音楽を全うする道を選ぶ。2004年にMySpaceにアップした「Where’s My Love?」がNYの優良インディー・レーベルTemporary Residence(Explosions in the Sky、MONO、Pinback、The Booksなどが所属)の耳に留まり、契約。2005年10月、シングル「Where’s My Love?」でデビュー。2006年3月、1stアルバム『Murmurs』リリース。日本でもHuman Highwayからリリースされ、その透明感溢れる歌声と、サンプリングを全く使わず、生のピアノ、ハープ、ベル、ギター、ストリングス、ハンドドラムなどを使用した温かみのあるトラックが、Björk、múmなどを引き合いに出されながら高く評価され、好セールスを記録する。同年7月には、台湾最大の野外フェスティヴァルFormoz Festivalに出演。2007年、ポスト・ロック・バンドのMice Paradeの6枚目のアルバム『Mice Parade』にゲスト参加。以後、全てのライヴに参加するようになり、現在は正式にバンド・メンバーとしてクレジットされている。2010年4月、代官山UNITでのイヴェント「Hennessy artistry」に、Her Space Holiday、LEO今井らとともに出演。バック・コーラスに姉OLIVIAも従えて、日本でのソロとしての初ライヴは、超満員のオーディエンスを前に大成功を収める。そして2011年、5年ぶりとなる2ndアルバム『VERDUGO HILLS』が到着。前作同様、丁寧に編み上げられたミニマルなエレクトロニカを基調としながら、オーガニックで温かみのあるトラックはさらに芳醇さを増し、それが、Mice Paradeとしてレコーディング、そして世界中をツアーした経験から、表現力にさらなる広がりが生まれた歌声を包み込み、天上の音楽とでも言うべき荘厳な美しさを湛えた作品となった。エレクトロニカを新たな次元に押し上げるかのような傑作である本作を、約2週間先行で日本リリースする。ボーナストラックとして、DntelとHer Space Holidayの日本独占リミックスを収録。リリース後は、日本国内外で精力的にライヴを行い、アルバムにも参加したHer Space Holidayのファイナル・ツアー(w/ 4 bonjour’s parties)にフル参加した他、envy、Blonde Redhead、Lymbyc Systym、SOUR、cokiyuらと対バンしている。
IDAHO
木曜日, 12月 15th, 2011その名とは異なり、カリフォルニアを拠点に活動するシンガー・ソングライター、ジェフ・マーティンによる1人ユニット。アメリカン・ミュージック・クラブのマーク・エイツェルやレッド・ハウス・ペインターズのマーク・コズレクとも比較される稀代のソングライター、ジェフは高校の友人、ジョン・ベリーと創作活動を開始し、やがて彼らのテープはキャロライン・レーベルに渡る。1992年、彼らはリンガーズ・ラクテート・レーベルからシングル「Skyscrape」を、翌年、キャロラインから「Palms」をリリースしてデビュー。1993年の末には、ドラムにマーク・ルイス、そしてアンセイン/スワンズのヴィンセント・シグノレリを迎えて制作した1stフル・アルバム『Year After Year』をリリースする。1994年、ジョンがバンドを離れ、アイダホはジェフのソロ・プロジェクトとなる。ドラムを除き、ほぼ全ての楽器を彼が担当した2ndアルバム『This Way Out』を経て、1996年、マーク・ルイスを始めとするミュージシャンたちのサポートによって力強いバンド・サウンドを獲得した『Three Sheets to the Wind』をリリース。傑作と名高い同作で、アイダホはアンダーグラウンド・シーンでの評価を確立。また、ジェフを中心に、ダン・セタやジョーイ・ワロンカーといったミュージシャンたちがその時々に彼を支えるというスタイルも完成した。1998年、アイダホはキャロラインを離れ、バズ・レーベルから4thアルバム『Alas』をリリース。2000年にはジェフは自らのレーベル、アイダホ・ミュージックを設立し、『Hearts of Palm』(2000年)、『Levitate』(2001年)、そして未発表曲集やライヴアルバムなど作品を次々と発表。かつての盟友、ジョンからプロデュース面での支援も受け、相変わらず高いクオリティを誇る作品をコンスタントにリリースし続ける。2005年、4年ぶりとなる10thアルバム『The Lone Gunman』で、& recordsより日本デビュー。好調なセールスを受け、待望の来日公演が期待されたが、実現せずに終わる。その後はまた映画音楽制作などに没頭し、アイダホとしてのアーティスト活動は沈黙を続ける。その間、実に6年。そして2011年、ようやく11枚目となる新作『YOU WERE A DICK』が届けられた。待ち焦がれていた熱心なファンたちの期待を決して裏切ることのない、聴く者の心に切々と訴えかけるような美しい歌が数々詰まっている。耳の肥えた音楽好きたちが、まるで放浪の末にようやく辿り着いた山頂にそっと咲く花のように愛でるようなその音楽。メディアにあまり取り上げられなかったためか、アイダホは確かに知る人ぞ知る存在になってしまっているが、その音楽は決して聴く者を選ぶわけではない。アイダホの歌は誰もが心打たれるほど感動的で、誰もが息を飲むほど美しい。20年目にして、より深くなった唄心と精緻なサウンドスケープは、最高傑作と呼ぶに相応しい。
I AM ROBOT AND PROUD
木曜日, 12月 15th, 2011トロントで活動する中国系カナダ人ショウハン・リームによる1人ユニット。トロント王立音楽院で10年間クラシック・ピアノを学んだ後、コンピューター・サイエンス科の学位を取得しながら、2000年よりアイ・アム・ロボット・アンド・プラウド名義で活動を開始する。2001年に1stアルバム『The Catch』、2003年に2ndアルバム『Grace Days』を、Catmobile Recordsよりリリース。2006年にDarla Recordsに移籍、3月に3rdアルバム『Electricity In Your House Wants To Sing』をリリース。その独自の温かみのあるポップなエレクトロニクス・サウンドが世界中から高く評価される。日本でも大きな評判を呼び、Tower RecordsのNew Ageチャート、iTunes Electronic Musicチャートで堂々一位を獲得した。7月には盟友トクマル・シューゴの協力により初来日ツアーが実現。6955、Miyauchi Yuri、Yucca、Mount Sugarらと共演する。2007年6月には野外イヴェントTaico Club出演のため再来日、さらに同年末から2008年1月にかけて再々来日を果たし、代官山UNITではno.9 orchestra、Pepe Californiaらと、渋谷o-nestではアセンブラ(竹村延和+Fylue Deau)、トクマルシューゴ、group_inou、Ametsubらと共演している。北米、ヨーロッパでもManitoba(現Caribou)、Mumらとツアーを行い成功を収める。しかし、彼の活動は、単なるリリースやツアーだけにとどまらない。ニューヨークの近代美術館 (MoMA) プロデュースによる短編映画のサウンドトラックを手がけ、シカゴ文化センターではオーディオ/ビデオのコラボレーションでの演奏も披露した。さらに映画”Centre Cities”や、アディダスのTV CMなどに楽曲を提供し、ビデオ芸術家やアニメーターともコラボレーション作品を展開している。YAMAHAが開発した新しい音楽インターフェイス「TENORI-ON」のモニター・アーティストにもフォー・テット、トゥ・ロココ・ロット、パステルズ、ジム・オルーク、トータスらとともに選出され、DE DE MOUSEのメジャー・デビュー盤にもリミックスで参加。そんな多岐に渡る活躍と共に、輸入盤店やiTunesで、2年以上前にリリースされた前作が売れ続ける中、2008年9月、待望の4thアルバム『アップヒル・シティ』にて、& recordsより満を持して日本でビュー。もはやアイ・アム・ロボット節としかいいようのないメロディー、そしてトラック・メイキングのエッセンスはさらに研ぎ澄まされ、濃厚に凝縮。ショウハン・リームの集大成とも言うべき作品に仕上がり、CD,、配信ともに驚異的なセールスを記録する。同年10月にはバンド・セットによる来日ツアー(Radical Face、group_inouも参加)を敢行、朝霧JAMにも出演する。その後ソロ・セットで、小倉、福岡、富山、金沢を回り、渋谷のo-eastで開催されたnest festivalおよび京都のボロフェスタにも出演する。2009年5月、クリエイティヴ・カンファレンズ『PUBLIC/IMAGE.METHOD』出演のため緊急来日。インタラクティヴ・アーティスト真鍋大度とコラボレーションする。その後もAira Mitsukiのリミックスを出がけるなど、話題が尽きない中、2010年、到着した新たなアイテムは、ショウハンがかねてより懇意にするアーティストが終結したスペシャル・コラボレーション・アルバム。その名も『UPHILL CITY REMIXES & COLLABORATIONS』。Miyauchi Yuriをフィーチャーした新曲3曲に、トクマルシューゴ、オオルタイチ、ララトーン、モンタグ、ウォッチマンなど洋邦の曲者達が手がけた極上のリミックスを6曲収録。愛すべきロボットの過去、現在、未来を集約し、新たな魅力を付与した記念すべき作品がここ日本から世界へ。同年には、前回同様、バンド・セット、ソロ・セット両パターンでの来日ツアーも大成功。2011年には、YOMOYAの3rdアルバムに参加、9月には日本で共演も果たしている。現在は長らく待たれている5thアルバムを制作中。
folk squat
木曜日, 12月 15th, 20112002年4月、平松泰二と田原克行によって結成。2003年2月に10曲入りの1stアルバム『missing weather』をリリース。その後、& recordsに移籍。洋楽ばかりリリースしていた同レーベルにとって初めての日本人アーティストとなる。2004年5月に2ndアルバム『I KNOW YOU KNOW』、2006年3月に3rdアルバム『one plus everything』(レーベルメイトであるHer Space HolidayとOwenが参加)、2008年3月に4thアルバム『It could be done if it could be imagined』と、2年に1枚というマイペースなスタンスでコンスタントに活動。その卓越したメロディー・センスと浮遊感溢れる楽器アンサンブル、音楽ファンをくすぐる独特の音作りが高く評価されており、1stリリース時には日本テレビのインディーズ音楽紹介番組で満点を獲得、Space Shower TVとYahoo!の合同企画「NEW QUALITY MUSIC」で有望新人アーティストとして取り上げられ、2ndの時は主要音楽誌はもちろんMEN’S NON-NOやVOGUEといったファッション誌まで、実に20誌以上にて絶賛された。4thでは、雑誌SPA!でも大きく取り上げられ、収録曲「A.N.Y.」が「飯田の良い家♪」でおなじみの飯田産業のTV CMに使用される。また、ライヴでも、プラネタリウムやカフェなどで独自企画を開催、またHer Space Holiday、Nobody & Mystic Chords Of Memory、Tracer AMC、Kyteといった人気海外バンドの前座を務めるなど、決して数多くはないが、印象的な活動をしている。2009年5月、芸能花伝舎(旧淀橋第三小学校)で開催された廃校フェスに、曽我部恵一、キセル、HARCO、ウリチパン郡、にせんねんもんだいらと共に出演したのを最後に、またしても恒例の長期潜伏期間に。完全に表舞台から姿を消した。その間、各々プライベートな時間を過ごしながら、デモを作るも、少し時間が空くたびに新たな方向性やサウンドの模索に作業は難行する。そしてアルバム数枚分のデモを全て捨て、2011年初頭から再度製作に入る。2011年2月のL’altra来日時にはLindsay Andersonと会い、ゲスト・ヴォーカルとしての参加が決定(「seabed」「recollections」の2曲参加)。2011年3月の震災発生後、& records企画のベネフィット・コンピに「recollections」で急遽参加する。今作収録の「recollections」にはリンゼイがゲスト・ヴォーカルで参加しているが、ベネフィット・コンピ・ヴァージョンは平松のヴォーカルだけの、folk squat2人だけで完成させたヴァ―ジョン。このあたりから活動が活発になり、2011年6月には、彼らのフェイヴァリット・アーティストであるIDAHOの新作『YOU WERE A DICK』が発売され、日本盤にはfolk squatの2人がそれぞれライナーノーツ(平松)と、対訳(田原)を行っている。また2011年8月からは、12月に発売になった、& records初の日本人女性シンガー・ソングライターaoki laskaのデビュー・ミニ・アルバム『about me』の録音、ミックス、プロデュースを平松が担当。自分のアルバムも作らないで何やってんだという声を受けつつも、この作品が大絶賛を受けるにあたって、彼のプロデューサーとしての手腕が高く評価される。この経験と勢いを活かして、ゆっくりと進んできた自身の作品を急ピッチで仕上げ、ようやく、実に4年ぶりとなる5thアルバム『folk squat』が、結成10周年となる2012年に完成。これまでミックスは田原に負うところが大きかったが、aoki laskaでの経験を元に、今作ではミックスを田原が6曲、平松が5曲行うという、ダブル・プロデューサー体制に。もはやセルフ・タイトルしか付けられなかったというほど、結成から10年間、様々な紆余曲折を経てきた、しかし根本的には何も変わらない彼らの音楽性、メンタリティー、手法、そのすべてが詰まった、極めて濃厚な味わいの、まごうことなき最高傑作。
nhhmbase
木曜日, 12月 15th, 20112004年より渋谷を中心にライブ(ほぼ月3)や打ち上げ参加(ほぼ毎週)など精力的に活動を続ける愉快な4人組。ありえないほど高度に構築されたポップ・ソングを、ありえないほどの熱量で破壊する。その光景を目撃した者は、涅槃へと誘われるという…(注:バンド名の中のnhhmは、オリジナル・メンバーの名前の頭文字を組み合わせたもので、彼らは仏教徒でもニルヴァーナの大ファンというわけでもない)。2006年9月、& recordsよりミニ・アルバム『nhhmbase』にてデビュー。変拍子を多用しながらも、不思議なほどシンプルでポップな印象を与える楽曲と、ときに出血し救急車で運ばれるほどテンションの高いライヴを武器に、group_inou、トクマルシューゴ、OGRE YOU ASSHOLE、54-71、PANICSMILE、moools、lostageらとともに、新たなアンダーグラウンド・シーンを作り上げる。Deerhoof, TYONDAI BRAXTON(BATTLES)、HER SPACE HOLIDAY、+/-{PLUS/MINUS}、OWEN、MATT POND PA、xbxrx、The Can’t See、Black Blackなど海外バンドとの共演も数多く、そしてその全てのバンドが彼らの虜になっている。さらに、国内ミュージシャンからの支持も熱く、EGO-WRAPPIN’、Base Ball Bear、the band apart、ストレイテナー、曽我部恵一、Chocolat & Akito、高田蓮、東京事変、依布サラサ、9mm Parabellum Bullet、Mass Of The Fermenting Dregs、sleepy ab.、相対性理論…等々、あらゆるジャンルや世代のアーティストから絶賛されている。2007年3月には、『STUDIO VOICE』誌の「ロックを担うかもしれない40組」に選出される。同年6月には、地上波全国放送の音楽番組『JUICE TV +』にて、OGRE YOU ASSHOLE、8otto、9mm Parabellum Bullet、Qomolangma Tomato らとともに“新世代突然変異バンド”として取り上げられ、さらにその最右翼バンドとして、nhhmbaseのみ異例の3週連続にわたってフィーチャーされる。2008年7月、54-71のリーダーこと川口賢太郎と、THE STROKESや8ottoを手がける世界的なプロデューサー&エンジニアであるヨシオカ・トシカズというと最強最凶のタッグによってプロデュースされた1stフル・アルバム『波紋クロス』リリース。 5日間でレコーディング、ミックス、マスタリング全行程終了、全編モノラル・ミックスという大胆な作品で、2008年インディー・シーンにおいて、最大の物議を巻き起こす。この作品を引っさげ、北は北海道、南は神戸まで、全国7箇所のツアーに出る。最終日は曽我部恵一BANDとのガチンコ2マンで、渋谷o-nestを熱狂の渦に巻き込む。この勢いのまま、+/-{PLUS/MINUS}、bloodthirsty butchers、mooolsとともに、初の海外となる台湾に進出。現地でリリースされた『波紋クロス』とともに、熱烈な歓迎を受ける。その後、作詞・作曲・アレンジ・アートワークすべてを手がけるマモル以外が全員脱退することになり、台湾での公演が旧メンバーとしては最後の公演となった。皮肉にも同行したbloodthirsty butchersの吉村秀樹から初めて賛辞を受けたほど、最後にして最高のパフォーマンスを見せた彼らの最終公演を、ライヴではお馴染みながら長らく音源化が望まれていたセックス・ピストルズ「ANARCHY IN THE UK」の名カヴァーも含め完全収録したライヴCD『ALIVE AT THE WALL』をリリース。長らくライヴ・バンドとして高い評価を得てきた旧メンバーによる第一期nhhmbaseの最高の瞬間を永遠に封じ込めた貴重な作品として輝き続けるだろう。現在、新メンバーを迎えて、マモルのソロ・プロジェクト的色彩を強めた新たなバンドとして活動中。2013年6月、自主レーベルrpmd recordsより、5年ぶりとなる2ndアルバム『3 1/2』をリリース。
JOAN OF ARC
木曜日, 12月 15th, 2011シカゴのポストロック~EMOシーンにおける先駆的な存在としていまや伝説の域にあるキャップン・ジャズ。そこから果てしない数の素晴らしいバンドが産み落とされた。プロミス・リング、アメリカン・フットボール、オーウェン、メイク・ビリーヴ、マリタイム、アウルズ、フレンド/エネミー、エヴリワンド、ヴァーモント…まだまだある。そんな広大なファミリー・トゥリーの、限りなく中心に近い場所に君臨するバンド、それがティム・キンセラ率いるジョーン・オブ・アークだ。高校生のときに始めたバンド、キャップン・ジャズが解散し、ジョーン・オブ・アークが始動したのが1996年。以来、ティム・キンセラを中心とした不定形グループとして、オリジナル・アルバムとしては10枚、他にもEPや、企画盤、ライヴ盤などをリリースしている。さらに、別ユニットやソロ・アルバムなども含めると、優に50枚以上のアルバムを生み出し続けている。2001年には、HEADZの招聘により初来日公演が実現。2003年には、ジョーン・オブ・アークの常連メンバーである4人で、メイク・ビリーヴを結成。あえてメンバーと楽器を固定したロック・バンドとしての可能性を追求。2度の来日公演を成功させている。それと平行して、ティムは映像作品という新たな領域にも挑戦。短編映画「A LOVER’S DISCORSE」(音楽はトクマルシューゴが担当)、長編映画「Orchard Vale」を制作している。その後、この映画を共に作り上げた妻エイミー・カーギルと離婚。そして、ティムは、一度脱退したメイク・ビリーヴに再び参加、映画をDVD化することにも執念を燃やし、そして、再び音楽仲間を招集しスタジオに篭る。そうして作り上げたのが、ジョーン・オブ・アークのオリジナル・アルバムとしては9作目となる『ブー・ヒューマン』である。公私ともに様々なドラマを体験したティムの、振り絞るかのような唄声が大きく胸を打つ。”それでも”作品を続けるしかない、表現者としての業が滲み出たかのような、重厚な作品の誕生となった。そして2008年6月、この傑作が生み出される過程として欠かせない作品であるメイク・ビリーヴのまさかの復活3rd『ゴーイング・トゥ・ザ・ボーン・チャーチ』、映画DVD『オーチャード・ヴェール』とそのサウンドトラックCDを引っ提げ、実に7年半ぶりとなる再来日公演が実現。メイク・ビリーヴ、ラヴ・オブ・エヴリシングのボビー・バーグ、元シャークス・アンド・シールズのトッド・マッテイを含む総勢5名で、6月末より、全国7ヶ所での公演を行った。中でも、ピンク・フロイドのザ・ウォールTシャツを着て90分もの間、鬼気迫る唄を披露した東京公演は、間違いなく歴史に残るショウだった。このライヴは後にDVD『LIVE IN TOKYO』としてリリースされている。このツアー終了後、ティムは文学をさらに追求すべく、再び大学へと戻っている。2009年、10th『フラワーズ』リリース。ツアーや学業の合間を縫って制作された。痛々しいほどにエモーショナルだった前作に比して、アルバム・タイトルからも見受けられるように、人生を俯瞰して見つめる視線が感じられる、より穏やか、かつ大胆な作品となった。それから2年。キャップン・ジャズの、まさかの再結成ツアーにより、オウルズ以来、実に10年ぶりに再会したヴィクターをギターに迎えたエッセンシャルな4人で、USとヨーロッパにてツアーを敢行。ほとんど休みなく毎日のようにプレイすることによって、強靭に鍛え抜かれた楽曲をもって、ツアー終了直後からエレクトリカル・オーディオ・スタジオに入り、スティーヴ・アルビニによって、バンドの最良の状態を捉えた9曲を収めた11枚目のアルバム『LIFE LIKE』が完成。オウルズやメイク・ビリーヴの1stを手がけたアルビニだが、ジョーン・オブ・アークとしては初のタッグとなるが、当然のごとく相性は最高。メイク・ビリーヴのように最低限のバンド・フォーマットでありつつ、ここまで刺激的なサウンドを生み出せる彼らの才能に驚愕するのみである。日本盤には昨年10月リリースの7”の楽曲を追加収録。
OWEN
木曜日, 12月 15th, 2011Joan of ArcそしてThe Promise Ringという90年代半ばから現在にまで通じるEMO~ポストロック・シーンの代表的2大バンドを産み落としたことでいまや伝説的な存在となっているCap’n Jazz。中心となっていたのは、現在もJoan of Arcの中核であるティムとマイクのキンセラ兄弟。そこでは一貫してドラマーとしてリズムを支えていた弟マイクが、兄に勝るとも劣らない唄心の持ち主であったことは、1999年にリリースされたAmerican Footballの傑作アルバム『American Football』で広く知られることとなった。American Footballとしては1作で終わってしまったが、その後も様々なバンドでプレイしつつ、自らの唄心を育み続け、それは新たなプロジェクトとして結実する。それがこのOwen。これまでに7枚のアルバムと、数枚のEP、スプリットなどを、コンスタントかつマイペースにリリース。Maritime(元The Promise RingのDavey von Bohlenらによるバンド)の前座なども含め、7度来日を果たし、54-71、toe、HUSKING BEE、二階堂和美、曽我部恵一、group_inou、nhhmbase、GELLERS、シャムキャッツ、在日ファンク、COMEBACK MY DAUGHTERS、OGRE YOU ASSHOLE、にせんねんもんだいらと共演している。Charaや坂本真綾もファンであることを公言するなど、日本でも確固たる人気と評価を誇る。近年は、自身がドラマーを務める新バンドTheir/They’re/There(Into It. Over It.のEvan WeissとLoose Lips Sink ShipsのMatthew Frankがメンバー)を結成、さらにCap’n JazzやOwls、そしてAmerican Footballの復活等、多忙を極める中、キャリア初となる全曲カヴァー曲で埋め尽くされたアルバムが到着。とはいえ安易な企画盤では全くない。盟友The Promise RIngの名曲をはじめ、そのセレクトは実に“らしく”ニヤッとさせられる。プロダクションは、オリジナル・アルバム以上の繊細さで作り込まれているし、数々の名曲が、OWENの“あの声”で唄われることによって、OWENの曲になってしまう、そんなマイクの唄心の強靭さを改めて確認することができる、貴重な作品となっている。近年はTheir/They’re/Thereの結成やCap’n Jazz、Owlsの再結成で、ドラマーとしての再評価されているマイクであるが、本作ではシンガーとしての魅力が存分に堪能できる。そして、OWENファンが、ここからまた音楽の幅広さ、奥深さを追求していけるきっかけ、指針となるようなアルバムであるとも言える。日本先行で、さらに日本のためだけにレコーディングされたJawbreakerのカヴァーがボーナストラックとして収録される。
YOMOYA
木曜日, 12月 15th, 201103年初夏より、渋谷、新宿、下北沢を中心に活動するトリオ。エレクトロニカ、ポスト・ロック、オルタナ、USインディー、フォーク、J-POPなどを消化した、高次元の音楽性と人懐っこさが同居したサウンド、電飾を施したステージで繰り広げる激しさと繊細さが交錯するパフォーマンス、そしてなにより文学性や叙情性を感じさせるメロディー、日本人の心の琴線にどうしても触れてしまうような声が、都内のライヴ・ハウス・シーンで話題に。06年には、スコットランドの至宝ARAB STRAPの来日解散ツアーのオープニング・アクトに抜擢。さらに、ドン・マツオ(Zoobombs)のバック・バンドを務めるなど、邦楽洋楽の垣根を軽々と飛び越える稀有なバンドとしての存在感を示す。08年6月、1stアルバム『YOURS OURS』をリリース。レコーディング、ミックスにこだま和文などを手がける手塚貴博を迎えて制作されたこのアルバムは、トクマルシューゴから絶賛コメントを寄せられたり、クッキーシーン誌にて岡村詩野氏に「くるりがデビューしてきた時のような、ちょっと不気味な手応えを感じる」と評されたのをはじめ、各誌で絶賛を浴びる。その後も、山形の映画館だった建物で行われたロック・フェスDo It 2008に、曽我部恵一BAND、bloodthirsty butchers、toeらと共に出演するなど、精力的にライヴをこなす。09年5月、プロデューサー/エンジニアに、moools の名盤『モチーフ返し』やOGRE YOU ASSHOLEの出世作『アルファベータ vs, ラムダ』を手がけた7e.p.の斉藤耕治と多田聖樹を迎え、クラムボンやOGRE YOU ASSHOLEらも使用する山梨・小淵沢のスタジオ「星と虹」にてレコーディングされた2nd『Yoi Toy』リリース。Base Ball Bearの関根史織から絶賛コメントを寄せられたのをはじめ、クッキーシーン誌にて、「2010年代の主役たち」の筆頭としてフィーチャーされたり、スペースシャワーのDAXとMySpaceが選出する裏MyXに選ばれへヴィーローテーションされるなど高い評価を得る。その後も、渋谷o-nestで初のワンマンを成功させたり、渋谷O-EASTでのnest festival ‘10や下北沢中のライヴハウスで同時開催された下北沢インディーファンクラブに出演するなど精力的に活動している。2011年、ドラムの東の脱退という試練を乗り越え、前作と同じプロダクション・チームとともに制作された3rd『Yawn』リリース。東名阪のツアーや、アルバムにも参加したカナダのI AM ROBOT AND PROUDとの2マン公演、また初の九州ツアーを成功させるなど、さらなる飛躍が期待されたが、2011年12月22日、o-nestでのワンマン公演にて惜しまれつつ解散。