Archive for 12月, 2011

ELECTRIC PRESIDENT

木曜日, 12月 15th, 2011

2004年よりフロリダ州ジャクソンヴィルにて活動するベン・クーパーとアレックス・ケインによるデュオ・ユニット。ベンは13歳の頃より、様々なバンドでギター、ドラム、ヴォーカル、ベースなど様々なパートを担当する。アレックスはThe Helicopter Projectというバンドで、ベースとして音楽活動を開始。後にベンがヴォーカルとして加入する。こうして出会った2人は、2000年頃から一緒にアレックスのベッドルームや、ベンの倉庫などでレコーディングを開始する。2004年にユニット名をエレクトリック・プレジデントとする。2006年1月に、ムームやスタイロフォームを輩出するドイツのエレクトロニカ系レーベルMorr Musicよりアルバム『s/t』にてデビュー。同年6月、7”「You Have The Right To Remain Awesome, Volume 1」「You Have The Right To Remain Awesome, Volume 2」を2枚同時リリース。この時点で、23歳(ベン)と21歳(アレックス)という若さであった。ラップトップを駆使したエレクトロニカを基調としながらも、アコースティックな肌触り、ロック的ダイナミズムを感じさせるリズム、インディー・ポップ的な遊び心、そして何よりも、デス・キャブ・フォー・キューティーのベン・ギバートやアメリカン・アナログ・セットのアンドリュー・ケニーにも通じる、心に染み入る唄心が絶賛される。ポスタル・サーヴィスや、同レーベルのスタイロフォームやゴー・ファインド、アンチコンのクラウドデッドなどを引き合いに出されながら、ここ日本でも専門店を中心に大きな話題を呼び、輸入盤ながら3,000枚以上ものセールスを記録する。本国USでは、アルバム・リーフやピンバック、スプーンらとともにドラマ「The O.C.」の挿入歌に1stアルバム収録曲が使用され、知名度が飛躍的にアップする。2007年1月、ベンのソロ・ユニットであるラディカル・フェイスのアルバム『Ghost』が、同じくMorr Musicよりリリース。1人ですべてをコントロールすることにより、彼の多才さや完璧主義ぶり、シンガーソングライター的資質が露になった素晴らしい作品で、こちらもスマッシュ・ヒットを記録する。2008年6月、エレクトリック・プレジデントとしては2年半ぶりとなる2ndアルバムにして、日本デビュー・アルバム『SLEEP WELL』(YOUTH-051)をリリース(ボーナストラックとして、前述の2枚の7”に収録された全4曲を収録)。「夢と悪夢」をテーマに作られた楽曲集となったほん同作は、ラディカル・フェイスの流れを汲む、ストーリー性、作家性の高い作品に。前作同様、うきうきするような爽やかさ、陽だまりのような温かさを感じさせるポップさはもちろん、サウンド、唄ともに、よりディープなリスニングに堪えうる深み、クオリティを獲得した大傑作となった。同年、ベンがラディカル・フェイスとしてアイ・アム・ロボット・アンド・プラウドとともに来日。全国3ヶ所でライヴを行い、朝霧JAMにも出演を果たす。2010年、3rdアルバム『THE VIOLENT BLUE』が到着。ドイツのMorr Musicを離れ、コネチカット州ニュー・へイヴンのFake Fourに移籍してリリースされる本作は、前作『SLEEP WELL』のB面集のような位置付けでスタートしたが、創作の過程で、全く異なる別個のアルバムとして仕上がった。本作でのテーマは「海」。タイトルの『THE VIOLENT BLUE』とは、ベンが付けた海の別名である。音楽的にも歌詞的にも「海」そして「水」を感じさせるように作られたという本作で、彼らは更なる進化/進化を遂げた。彼らの最大の特徴であるキャッチーなメロディーはそのままに、美しいハーモニーや、幾重にも編み上げられたサウンドスケープは緻密さを増し、そしてなによりソングライティングの成熟を強く感じさせる逞しい楽曲群。 “サウンドによる絵画”とも言うべき、新たなる芸術作品をじっくり堪能して頂きたい。

MARCHING BAND

木曜日, 12月 15th, 2011

2004年に、大学1年生であったエリックとジェイコブが出会ってスタートした、スウェーデンはリンシェーピングのデュオ。2008年8月、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーやヨ・ラ・テンゴなどを手がけるAdam Lasusをプロデューサー兼エンジニアに迎えて制作された1stフル・アルバムとなる『SPARK LARGE』がLAのU & L Recordsよりリリースされる。ギター、ベース、ドラムといったロック・バンドとしてのベーシックなフォーマットに、シロフォン、マリンバ、バンジョー、ヴィブラフォンなどを幾重にも重ねた美麗なサウンドスケープや、ビートルズばりの美メロとハーモニーが、ベル&セバスチャンやザ・シンズなどを引き合いに出されながら、PitchforkやOthermusic、Insoundといったウェブサイト/ショップや、KCRW やINDIE 103.1といったラジオなどを中心に、2008年の新たなホープとして大きな話題となり、myspaceのプロフィール・ヴューは、異例の早さで100万を超えた。さらに、書き下ろしの新曲「Trust Your Stomach」が、同年11月よりUSで公開されたSony Picturesの映画『Nick And Nora’s Infinite Playlist』(主演は『Juno』のMichael Cera)のサウンドトラックに、ヴァンパイア・ウィークエンド、バンド・オブ・ホーセズ、モデスト・マウス、ザ・ナショナル、マーク・マザーズバー(DEVO)らの楽曲とともに起用される。2009年2月、1stアルバムが、デジタル・ボーナストラックであった3曲に、さらに前述の映画挿入歌を追加収録して日本盤化される。rockin’ onやCOOKIE SCENEをはじめ、各音楽誌で絶賛。オリジナル・リリースから半年後の発売にもかかわらず、スマッシュ・ヒット、そしてロングセラーとなる。その後も、Zombieland(Sony Picture Entertainment)、90210(CW)、How I Met Your Mother(CBS)、Scrubs(ABC)、The Ex List(CBS)、My New BFF(MTV)、My Life As Liz(MTV)、Cougar Town(ABC)、Greek(ABC)等々、様々な映画やテレビで楽曲が使用され、知名度はうなぎのぼりに。2010年5月、2ndアルバム『Pop Cycle』リリース。地元スウェーデンのストックホルムにて、ピーター・ビヨーン・アンド・ジョン、ザ・コンクリーツ、カメラ・オブスキュラなどを手がけたヤリ・ハーパライネンをプロデューサーに迎えた同作は、前作同様、ウキウキするようなキラキラした楽曲に、高度に練りこまれたアレンジ、文学性の高い歌詞、とどこをとっても隙のない、まさに究極、無敵のポップ・アルバムとして高い評価を得る。日本でも、星野源がミュージック・マガジン誌で年間ベストにピックアップしたのをはじめ、ASIAN KUNG-FU GENERATION、LOSTAGE、group_inou、THE NOVEMBERSのメンバーからも絶賛されるなど、大きな話題となる。2013年10月、3rdアルバム『SO MUCH IMAGINE』リリース。前2作でのポップの達人たちとのコラボレーションを経て、再びほとんど二人で制作された本作は、『ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)』を彷彿させる、全21曲、70分超の壮大なポップ絵巻となった。この傑作を引っ提げて2014年1月、初来日が実現。彼らの大ファンであるというCzecho No Republicとのツーマンなど全国6カ所のツアーを成功させる。最新作『HEART JEWEL』には、1stをてがけたAdam Lasusをはじめ、Eli Crews(tUnE-yArDs等)や田辺玄(WATER WATER CAMEL)ら複数のエンジニアがミックスで参加。歌詞においては、デビュー前からの友人であるCheri MacNeil(Dear Reader)とコラボしている。

L’ALTRA

木曜日, 12月 15th, 2011

1999年より活動するシカゴ出身のデュオ(結成当時は4人組)。バンド名はイタリア語で「the feminine other」の意。99年、地元のレーベルAestheticsよりEP「Until Sun」でデビュー。00年、1stアルバム『Music of a Sinking Occasion』(日本盤はTHOKから)、02年、2nd『In The Afternoon』(日本盤はP-VINEから)リリース。シカゴという「音響派」出身ならではの繊細な音作り、ピアノやストリングスの叙情的な響き、そして何より悲しくも美しい二人の唄心が感動的で、「スロウコア」「サッドコア」の新たなる旗手として脚光を浴びる。2nd以後、2名が脱退し、今のデュオ形式となる。2005年には同じくシカゴのHeftyに移籍。同レーベルの看板アーティストでもあるTelefon Tel AvivのJoshua Eustisのプロデュースによる3rd『Different Days』をリリース。日本ではビクターからリリースされ、音楽的のみならずセールス的にも大きな飛躍を果たす。しかし、その後バンドは活動休止状態に入り、07年にはリンゼイはMinty Freshからソロ・アルバム『If』をリリース、ジョセフはソロ・ユニットCosta Musicとして来日、翌年にはアルバム『Lighter Subjects』をリリースするなど、ソロ活動に入る。バンドの存続が危ぶまれたが、08年にバンドとして初の来日ツアーを敢行し、復活を果たす。09年に、ジョセフがブルックリンに引っ越したことで、またしてもバンドの存続が危惧されたが、それぞれで曲作りは継続、昨冬シカゴにてレコーディングを行い、実に5年ぶりとなる4thアルバム『TELEPATHIC』を完成させる。前作に続いてJoshua Eustisをはじめ、Charles Rumback(Colorlist、Via Tania)、Josh Abrams(Bonnie Prince Billy)、Marc Hellner(Pulseprogramming)、Darren Garvey(Cameron McGill)、Elisa Graci(Costa Music)といった豪華な盟友たちが参加。2人の強靭な唄を軸に、様々なコラボレーションを通して生まれた芳醇なトラックが花を添えるという前作からのスタイルが完全に実を結び、5年の不在を埋めてあまりある傑作が誕生した。このアルバムをひっさげて、2011年2月、再来日ツアーを成功させている。

SOFT

木曜日, 12月 15th, 2011

大阪でノイズ・ミュージシャンとしてソロ活動をしていたジョニー・レイネックを中心に、2004年にNYはブルックリンで結成された5人組。バンド名はKara’s Flowers時代から親交のあるMaroon 5のミッキー・マデンによる命名。同年末に自主制作で1st EP『Droppin’』をリリース。未契約、ノンプロモーションという状況にもかかわらず発売直後からオンライン・ショップInsoundのチャートで4位を記録する。翌年から本格的にライヴ活動を開始。すぐにMaroon 5やHard-Fi、Mark Gardnerらのオープニング・アクトに抜擢されUKツアーも敢行。また、一部のブログ・サイトで2005年度書き込み件数No.1を記録するなど、華々しいデビューを飾る。06年に1stアルバム『Hot Club And The Smoke Machine』(FABTONE)をリリース。「Stone Rosesの再来」と評され、日本で1万枚を超える大ヒットを記録する。同年、UDO MUSIC FESTIVAL出演のために初来日を果たす。07年11月、1stアルバムを全曲再録&再アレンジし、新曲を追加したコレクターズ・アイテム『Gone Faded』をリリース。08年3月にはMAROON 5のオープニング・アクトとして再来日。武道館、大阪城ホールなどでライヴを行っている。それから2年の沈黙を経て、ようやく2ndフル・アルバム『DOGS』が完成。プロデュースにYeah Yeah Yeahs、 Grizzly Bear、TV on the Radio、 Beach House等を手がけるChris Coady、ミックスにBlack Rebel Motorcycle Club を手がけるRick Parkerを迎えて制作されたこのアルバムは、前作同様、Stone Rosesを彷彿させるグルーヴに、Oasisの全盛期に優るとも劣らないシンガロング度の高いメロディーを纏った最強のアルバムに。ニュー・レイヴ、マッドチェスター・リヴァイヴァル、ニュー・ゲイズ、そして近年のブルックリン・ムーヴメント、その全ての先駆けとも言っても過言ではない先進的な音楽性と高いファッション性、そして人懐っこさを兼ね備えた稀有なバンドが、満を持して世に問う2作目を決して聴き逃してはならない。現在は、創設メンバーであったギターのヴィンセントが脱退、元Matt Pond PAのマシュー・ダニエル・シスキンが加入。

WIRES UNDER TENSION

木曜日, 12月 15th, 2011

 

NYで活動するヴァイオリン&ドラムのデュオ。2人ともクラシカル・ポストロック・バンド、Slow Sixのメンバーでもある。Slow Sixはヴァイオリニストでありコンポーザーであるクリストファー・ティックナーを中心に2000年頃結成。SlintやDirty Threeを聴いて「インストゥルメンタリストとしての自覚」を動機づけられたという音楽体験と、一方、母親の影響で幼い頃からヴァイオリンに親しみ、ハイドンの弦楽四十奏やアルヴォ・ベルトの交響曲に感銘を受け、さらにNYUで情報科学の修士号を取得し、フルクサスのNam June PaikやAnthony Braxton(※先日Battlesの脱退を発表したTyondai Braxtonの実父)とも共演した電子音楽のパイオニア、Richard Teitelbaumに師事しプログラミングを学ぶ、といった経歴を持つクリストファーは、最初1人で音源制作を始めていたが、NYでメンバーを募り、その後、Antony & The JohnsonsやRufus Wainwrightのストリングス・アレンジメントも務めるMaxim Mostonらを迎えたコレクティヴとして本格的に活動をスタート。04年に、Dirty ProjectorsやHere We Go Magicなどを輩出したWestern Vinylからアルバム『Private Times in Public Places』でデビュー。07年にクラシック・レーベルであるNew Albionから2nd『Nor’easter』をリリースするも、また古巣Western Vinylに戻り、10年1月に3rd『Tomorrow Becomes You』をリリース。一時は9人まで増えていたメンバーも、この段階で、セオ・メッツを含む5人組となる。クラシックをはじめ、ポストロック、ジャズ、サイケデリックなど様々な要素を想起させるクロスオーヴァーな音楽性と、クリストファーの確かな作曲能力と挑戦的な姿勢が、Pitchfork、Wire、The New York Timesなど各音楽誌紙で、Steve ReichやLa Monte Youngなど現代音楽~ミニマリストや、Owen PallettやAndrew Birdなどを引き合いに出されながら絶賛される。Steve ReichやLa Monte Youngなど現代音楽~ミニマリストを引き合いに出され、Owen PallettやAndrew Birdの作品と比較されて語られる機会も多い。そんなクリストファーの新たなる音楽的実験の場となったのがこのユニットだ。Modest Mouse、Explosions in the Sky、R. Kelly、Bono(U2)、Erykah Badu、The Rootsらを手がけたJohn Congletonによってミックス、 Grizzly Bear、Animal Collective、Sufjan Stevens、LCD Sound System、Dirty Projectors らを手がけたPaul Goldによってマスタリングされた本作は、バンド名そのままに、2人よる緊張感溢れる、野心的なインストゥルメンタル・サウンドがパッケージされている。ヴァイオリンを中心にすえつつ、アグレッシヴなドラムや、コンピュータによる装飾などは、国籍を超え、日本のsgt.との共振を感じさせる。アートワークはThis Will Destroy YouのChris Kingが手がけ、Lymbyc SystymのJared Bellが寄稿している。The BooksのNickによりビデオ・クリップが制作される予定。この記念すべき1stアルバムを、日本のみのエクステンデッド・ヴァージョンとして、日本先行、ボーナストラック付きで、しかも日本のみ独占的にCD化する(本国ではアナログと配信のみ)。

HOME VIDEO

木曜日, 12月 15th, 2011

2003年からNYのブルックリンで活動するコリン・ルフィーノとデイヴィッド・グロスの2人組。元々ニュー・オリンズの高校で同級生だった2人は意気投合し、ショート・ヴィデオを作成したことから、コラボレーションが始まる。当時、コリンはNine Inch NailsやSmashing Pumpkins、Radiohead、Massive Attackなどに影響を受けて、The Great and Secret Showというバンドをやっていた。一方、デイヴィッドは、両親がクラシック音楽家であり、最近のヒット・ソングはおろか、1900年以降に書かれた曲から隔離されて育ったクラシック・ピアニストであったが、次第にコリンに感化され、バンドに加入、キーボードを弾くようになる。大学進学にあたってバンドは解散、コリンはNY、デイヴィッドはボストンと離れ離れになるが、夏休みなどを利用して、2人での音楽制作は継続。大学を出て、NYで再会、ホーム・ヴィデオとして活動を始める。03年の冬に作ったデモがUKのWarp Recordsの耳に留まり、04年にWarpから2枚のEPをリリースする。1st EP「That You Might」は、すぐにBBC Radio 1やNME誌にピックアップされ、2nd EP「Citizen」ではRolling Stone誌にフィーチャーされた。06年、USのDefend Musicから1stフル・アルバム『No Certain Night Or Morning』をリリース。収録された2曲が、グラミーにもノミネートされたDJ Sashaの『Involver 2』のリミックスに、Thom Yorke、やLadytron、M83、Apparatらの楽曲と共に使用され、話題となる。音源は2人だけで制作されるが、生ドラムやプロジェクターをフィーチャーしたライヴも定評があり、ヨーロッパ・ツアー中、ロンドンで共演したBlonde Redheadは彼らのライヴに感銘を受け、3週間の北米ツアーのオープニング・アクトに抜擢する。その後も、Justice、Yeasayer,、Flying Lotus、Pinback、DJ Krush、Colder、Radio 4など、錚々たるアクトのオープニングを務める。そのバンド名の通り、ヴィデオも自分達で制作し、「I Can Make You Feel It」のヴィデオは、MTV2の「Subterranean」でプレミア放送され、その後YouTubeのトップにフィーチャーされ、1週間で200,000ヴューを記録した。その「I Can Make You Feel It」も収録された、4年ぶりとなるこの2ndアルバム『THE AUTOMATIC PROCESS』は、Massive Attack、 Boards of Canada、Depeche Mode、Phillip Glassといった初期からの影響を見事に消化し、ミニマルなビートに、デイヴィッドのクラシカルな繊細さ、そしてコリンの実存的な唄が乗るという、ホーム・ヴィデオ節ともいうべきスタイルを完全に確立したエポック・メイキングな作品に。聴き込むうちに、いつのまにか深遠なるホーム・ヴィデオ・ワールドに耽溺してしまう、そんな傑作に、ボーナストラック2曲を追加収録した特別ヴァージョンで、遂に日本デビューを果たす。

AZURE RAY

木曜日, 12月 15th, 2011

ネブラスカ州オマハで活動するオレンダ・フィンクとマリア・テイラーによる女性2人ユニット。元々アラバマ出身で、地元のアート・スクールの学生であった2人は10代半ばでLittle Red Rocketというバンドを結成し、1997年、ポートランドのレーベルTim/Kerrよりアルバム『Who Did You Pay』でデビューする。BellyやThat Dogなどと比較されて評判を呼んだ彼女らはGeffenと契約するも、GeffenのUniversalへの吸収のドタバタのせいで1枚もリリースすることなく終わってしまい、2人はアセンズに引っ越す。そこで、元Gang of FourのHugo Burnhamの目に留まりマネージメントされることになり、Big AtomicのJacque FergusonとJapancakesのScott Sosebeeをリズム隊に迎えて2ndアルバム『It’s in the Sound』を制作、2000年にリリースするも、そこでバンドは解散。2人はアズール・レイとしてデュオで活動を始める。同時に、Bright EyesのConor Oberstの導きにより、Saddle Creek所属のバンドであるNow It’s Overheadに2人とも加入する。そして01年、元Archers of Loafであり現Crooked FingersのEric Bachmannプロデュースによるアルバム『Azure Ray』(収録曲「Sleep」は06年に公開された映画『プラダを着た悪魔』のサウンドトラックに使用される)で、アセンズのWarmよりデビュー。優しく物憂げな2人のヴォーカル、フォークやアメリカーナにエレクトロニカ・エッセンスをまぶした音楽性、ノスタルジックなアートワークなどが評判となる。02年には、Now It’s OverheadのAndy LeMasterプロデュースによるのEP「November」をSaddle Creekよりリリース。同年、2nd『Burn and Shiver』、03年に3rd『Hold on Love』をリリース。USインディー・シーンにおいて確固たる地位と評価を得る。また、2人ともMobyやBright Eyesのアルバムに参加するなど、順風満帆に思えたが、04年に活動休止。事実上の解散となる。その後、彼女たちはそれぞれソロ活動に入り、オレンダは2枚、マリアは3枚ソロ・アルバムをリリースしている(09年リリースの3rdにはR.E.M.のMichael Stipeが参加)。マリアは05年にBright Eyesのリキッド・ルーム公演でオープニング・アクトを務めている。そして、実に7年の不在を経て、奇跡的に2人は再会、素晴らしい復活作『DRAWING DOWN THE MOON』を完成させる。過去のアルバムと同様、Eric Bachmannによるプロデュース、Andy LeMasterと、Vic Chesnutの姪であるシンガー・ソングライターLiz Durrettのゲスト参加という気の置けないアセンズの仲間たちと作り上げられた本作には、7年前と全く変わらない、ただシンプルで、しかし息を呑むほど美しい2人の唄声による完璧な12曲が収められている。 2011年3月、待望の初来日ツアー(w/ 4 bonjour’s parties)が予定されていたが、震災の影響でキャンセルとなっている。

THE ONE AM RADIO

木曜日, 12月 15th, 2011

LAを拠点に活動するシンガー・ソングライターであるインド系アメリカ人リシケシュ・ヒアウェイを中心としたバンド。マサチューセッツ生まれの彼は、イェール大学在学中の1998年よりThe One AM Radioとして活動を開始する。元々はアコースティック・ギターとドラム・ループだけのバッキングによる演奏だったが、2000年あたりから、生ドラムやコンピューターを取り入れ、徐々にレパートリーを拡げ、独自のビートを構築していく。最初の公式な音源リリースは1998年にCosmodemonic Telegraphよりリリースされたコンピレーション・アルバム『Tea At The Palaz Of Hoon』に、Bright Eyes、Mary Lou Lord、Bevis Frond、Wheat、Elf Power、Moe Tuckerらと共に提供した1曲。その後、Ted LeoやTracy SheddらとのスプリットやEPを経て、2002年に、自身が運営するTranslucenceより1stアルバム『The Hum of the Electric Air!』をリリース。2004年に、日本のEnvyなどもリリースするLevel Planeより2ndアルバム『A Name Writ In Water』をリリース。LAに居を移し、西海岸アンダーグラウンド・ヒップホップの雄Daedelusの協力も得て制作されたこのアルバムは、米インターネット・メディアPitchforkでも8.1という高得点を記録し、ここ日本でも専門店を中心に話題となる。翌年にはDaedelus、Caural、Aliasらによるリミックス・アルバム『On the Shore of the Wide World』をリリース。DaedelusやCauralのアルバムにもゲスト・ヴォーカルとして参加するなど、精力的な活動を行う。そして2007年、地元LAのレーベルDangerbird(最近はBeady Eye、Maritime、Minus The Bear、Hot Hot Heatなどが在籍)に移籍し、3年振りとなる3rdアルバム『This Too Will Pass』(YOUTH-015)を完成。前作に引き続きDaedelusを始め、多彩なゲストが参加して、究極的に芳醇なサウンドスケープを作り上げたこの作品で日本デビューを果たし(日本盤にはDaedelusとその妻Laura DarlingtonによるユニットThe Long Lostによるカヴァーを収録)、Alternative Pressでは4つ星半を獲得するなど高く評価される。それから4年、ライヴ・メンバーであった仲間達を正式にメンバーに迎えバンドとして生まれ変わって初のアルバム『HEAVEN IS ATTACHED BY A SLENDER THREAD』が完成。ミックスにPhoenix、Depeche Mode、Belle & Sebastianらを手がけ、グラミー賞にもノミネートされたTony Hofferを、ゲストにAnticonのBathsやAlias、DevicsのSara Lovなどを迎えて制作された本作は、これまでのダークで内省的なイメージから一転、明るく、ポップで、しかしどこかビタースウィートなダンス・チューンが並んだ作品に。しかし、得意のストリングスやホーンを配したアレンジや繊細なトラックメイキング、都会での孤独が浮かび上がるような歌詞世界、そしてその優しく心の襞に触れるような唄声は、まさしくThe One AM Radioならではのもの。結果、極上のポップ・アルバムが誕生した。日本盤には、未発表の新曲と、日本でのレーベルメイトであるDNTELとBoy In Staticによるリミックスを追加収録。

STYROFOAM

木曜日, 12月 15th, 2011

1999年よりベルギーはアントワープで活動するアーネ・ヴァン・ペテヘムによる1人エレクトロ・ユニット。2000年、ドイツのMorr Musicからアルバム『Point Misser』にてデビュー。まさにMorrの真骨頂とも言うべき優しく温かなインディー・ポップ meetsエレクトロニカなサウンドが高い評価を得る。元々はインストゥルメンタルだったが、2nd『A Short Album About Murder』(2001年)、3rd『I’m What’s There To Show That Something’s Missing』(2003年)とリリースを重ねるごとに唄の比重が高まっていき、2004年リリースの4th『Nothing’s Lost』は、自身の声はもちろん、Death Cab For CutieのBen Gibbard、The American Analog SetのAndrew Kenny、Lali PunaのValerie Trebeljahr、Aliasなど多彩なヴォーカリストをフィーチャーした全曲唄ものアルバムに。その間、リミキサーとしても活躍し、mum、Tristeza、The American Analog Set、The Go Find、The Postal Service、Jimmy Eat World、The Free Designなどを手がける。同年にはレーベル・メイトであるISAN、レーベル・オーナーであるThomas Morrとともに来日ツアーを敢行。2006年にはヒップ・ホップ・グループFive DeezのメンバーであるFat Jonとのコラボレーション・アルバム『The Same Channel』をリリース。同ユニットで来日公演も行っている。このアルバム以後、Morrを離れSum 41、Josh Rouse、Datarock、The Submarines、Ladytronなどを擁するカナダの巨大音楽企業体であるThe Nettwerk Music Group傘下のNettwerk Recordsに移籍。ずっと1人で作業してきたベッドルームを抜け出し、LAのプロデューサー・チームWAX LTD(Sebadoh、The Folk Implosion、Eels、Muse、The Backstreet Boysらを手がける)と共同作業の結果生み出された5th『A Thousand Words』は、ヴォーカルにJim Atkins(Jimmy Eat World)、Blake Hazard(The Submarines)、Josh Rouseといった豪華なゲストも参加し、インディー・ロックとポップとエレクトロニカが見事にミックスされた作品となり、音楽的にもセールス的にも大きな飛躍を果たす。それから2年、Bloc PartyのKele のソロやOf Montrealのリミックスが話題を振りまく中、待望の6thアルバム『DISCO SYNTHESIZERS & DAILY TRANQUILIZERS』が完成(タイトルはElvis Costello の名曲「This Year’s Girl」の中にある一節 “those disco synthesizers/those daily tranquilizers”から引用)。同じくWAX LTDのWally Gagelとともに、ハリウッドにある修復されたばかりのTTGスタジオ(かつてはThe Velvet Underground、Neil Young、The Doors、Tim Buckley、Frank Zappa、Jimi Hendrixなどが使用)にて6週間かけて実験を繰り返しながらレコーディングとミックスが行われたという本作は、前作で完成させた”唄ものエレクトロニカ”をさらに発展させ、New Order、Kraftwerk、Depeche Mode、さらには黎明期のエレクトロ・ヒップホップやポストパンクへの深い愛情を包み隠さず、エレクトロニック・ミュージックとしての快感度を究極まで追求したアルバムとなった。まさに”タイムレスなエレクトロニック・アルバム”と呼ぶに相応しいこのマスターピースに、なんとPaul Cook(Sex Pistols)とAlan Myers (Devo)、そして盟友Jim Adkins(Jimmy Eat World)のドラムが花を添えている。2011年2月には待望の単独来日ツアーを成功させている。

VERSUS

木曜日, 12月 15th, 2011

1990年、NYにてリチャード・バルユットを中心に、弟エドワード・バルユット、紅一点フォンテーン・トゥープスによって結成。バンド名はミッション・オブ・バーマのアルバム名より拝借する。92年、7”「Insomnia」でデビュー。94年にTeenbeatと契約し、1stフル・アルバム『The Stars Are Insane』リリース。96年、バルユット兄弟の末っ子で、現在プラス/マイナスの中心メンバーであるジェイムス・バルユットがギター&キーボードとして参加。メジャーのCaroline Recordsから3rdアルバム『Secret Swingers』をリリースする。このアルバムをもってエドが離れ、同じく現在プラス/マイナスの中心メンバーであるパトリック・ラモスがドラマーとして参加。このメンバーで、98年に同じくCarolineから4thアルバム『Two Cents Plus Tax』をリリース。99年にはスーパーチャンクが主宰するMerge Recordsと契約。99年にEP「Afterglow」、2000年にEP「Shangri-La」、5thアルバム『Hurrah』をリリースする。この間ずっと、インディー・ポップのメロディー・センスと、グランジやオルタナのラウドさを併せもつ稀有なバンドとして、USインディー・シーンでリスペクトを集め続ける。しかし、2001年にリチャードがサンフランシスコに移住したことで、バンドは実質的に活動休止状態に入る。ジェイムスとパトリックはプラス/マイナスとして活動を始め、日本でもすっかりお馴染みの存在に。フォンテーンは自らの名前を冠したバンドThe Fontaine Troupsを結成、リチャード自身も、ソロ・プロジェクトWhysall Laneを本格的にバンド化させる。その後、2005年にTeenbeatの20周年記念イベントに出演したり、単発的にヨ・ラ・テンゴやラヴ・イズ・オールの前座を務めたりはしていたものの、本格的な活動再開とはいかなかった。しかし、07年にリチャードがNYに戻ってきて。Whysall LaneもThe Fountain Toupsも解散、プラス/マイナスも、ドラムのクリスが女性ポップ・シンガーのケリー・クラークソンのサポートを務め休止状態となったことで、プラマイのジェイムスをギターに、パトリックをドラムに迎えた形態で徐々にライヴ活動を再開。2008年にプラス/マイナスと合同で行われた奇跡の初来日ツアーもこの形態で行われた。09年6月、myspaceにてジェイムス、パトリックの脱退、エドの正式加入をアナウンスする。ここにオリジナル・メンバーでの本格的なバンド活動が復活。アルバム制作にも着手する。それから約1年、実に10年ぶりとなるアルバム『ON THE ONES AND THREES』が完成。Caroline時代の2枚を手がけたエンジニアNicolas Vernhes(アニマル・コレクティヴ、ディアハンター、キャット・パワー、スプーンなども手がける)と再びタッグを組んで制作されたこの10曲は、10年の不在を全く感じさせず、瑞々しく輝いている。繊細なメロディーに、琴線を刺激する声、そしてバーストするギター、叙情的なストリングス(現在ライヴはヴァイオリン兼キーボードのマーガレット・ホワイトを迎えた4ピースで行っている。まさにUSインディーの良心そのものといった傑作に仕上がった。スーパーチャンクやヨ・ラ・テンゴと並んで、20年にも渡って多くのバンドに影響を与え、リスペクトされ続けている稀有なバンドの帰還を祝福したい。USでは10年前と同じくMergeからリリースされる。2011年4月、待望の単独来日ツアーが予定されていたが、震災の影響でキャンセルとなっている。