Archive for 12月, 2011

MINES

木曜日, 12月 15th, 2011

2001年、チャドとロン、2人のソングライターを中心にシアトルにて結成。同年、デモ・ミニアルバム『MINES』にてデビュー。Black Heart ProcessionのエンジニアであるZack Reinigによるプロデュースのもと、2002年(日本盤は2004年1月)にリリースした1stアルバム『THE WAY THE WIND WHIPS THE WATER』が、ポスト・ロック的サウンド・センスと優しい唄心で話題に。2004年、4人編成となり、再びZackとともに制作した2ndアルバム『TEAM A.W.E.S.O.M.E.』が完成。数々のキャリアで培った確かなテクニックを、思わず口ずさんでしまうようなメロディーにのみ奉仕させているかのような、ポップで瑞々しい魅力に溢れた11曲を、日本独占リリース。現在は活動休止中。

THE DUDLEY CORPORATION

木曜日, 12月 15th, 2011

2000年、Dudleyを中心に結成。2001年9月、The Delgadosのメンバーをゲストに迎えてレコーディングした1stアルバム『The Lonely World Of The Dudley Corporation』をリリース。2002年8月、同アルバムが、Ancient GreeksでおなじみのFlameshovelよりUSリリース。そして、2003年9月、Mogwai、Arab Strap、The Delgadosなどを手がけたアンディ・ミラーのプロデュースの元、再びChemikal Undergroundのスタジオで録音された2ndアルバム『IN LOVE WITH THE DUDLEY CORPORATION』をリリース。限定でリリースされたシングル「What a Human Does」は、1週間で完売し、アイリッシュ・チャートでTOP 30にランクインを果たす。

ASAHI

木曜日, 12月 15th, 2011

2000年頃から活動を開始。アメリカ西海岸を中心にThe Velvet TeenやJuno、John Vanderslice、Denaliといったバンドたちと精力的にライヴ活動を行う。2002年、1stアルバム『HEAD ABOVE WATER』リリース。たゆたうような時の流れを感じさせるギターとピアノの調べ、男女混声による繊細なハーモニーが高い評価を得、KEXPのNorthwest Music Chartで第5位を獲得する。2004年2月、Jen Woodのバックメンバーとして、Tomoが来日。弾き語りでオープニング・アクトを務め、Jeff Buckleyにも比肩しうる歌声を披露、絶賛を浴びる。現在は解散。TomoはGrand Hallwayというバンドで活動している。

CALLIOPE

木曜日, 12月 15th, 2011

ミシガン州ランシングの4人による5th。浮遊感溢れるサウンドスケープと、ナチュラルな唄心が優しく溶け合う。90年代初頭に活動していたシューゲイザー・バンドSixth With Violetのメンバーを中心に94年結成。2ndアルバムをプロデュースしたCasey Riceに影響を受け、ホーム・スタジオ「TRASH 180」を設立。以後、独自の実験・制作に没頭する。03年、オリジナル・メンバーであるEricが脱退、代わりに女性ヴォーカルCarmenが加入。結成から10年、5枚目のアルバムとなる『SOUNDS LIKE CIRCLES FEEL』は、ドリーミーでスペーシーな質感だけでなく、ラウンジ感溢れるタイトなポストロック・エッセンス、さらにナチュラルな唄心が見事に溶け合った最高傑作。

NOBODY & MYSTIC CHORDS OF MEMORY

木曜日, 12月 15th, 2011

Prefuse 73と作品やツアーで共演し、FUJI ROCK FESTIVAL ’05にも彼と共に来日した西海岸のポップ・マエストロ、DJ Nobody。そして長年カルト的な人気と高い評価を得てきたBeachwood Sparksの元メンバー、Chris Gunstによるユニット、Mystic Chords Of Memory。アメリカ西海岸が誇る2つの才能が見事に溶け合ったコラボレーション・アルバム『TREE COLORED SEE』を、2005年にリリース。Mystic Chords Of Memoryのメランコリックな歌を、Nobodyがスペシャルなサイケデリアで調理、緩やかなグルーヴを添える。素朴な手触りとカラフルな華やかさ、フォーキーなメロディーと優しいリズム。絶妙のバランス感覚でそれらを調和させた爽やかな逸品に仕上がっている。2006年には来日ツアーも成功させている。

DEVICS

木曜日, 12月 15th, 2011

ヴォーカリストのサラ・ラヴとマルチ・インストゥルメンタリストのダスティン・オハロランによるLA出身男女2人組ユニット。ハワイに生まれ、両親の離婚後、母親とともにロスに引っ越したが、その後、父親に誘拐され、そのままイスラエルで数多くのロックンロールの偉人と、国際色豊かな逃亡者とともに幼少時代過ごし、6歳の頃には歌手になること予見していたサラ。一方、ロスで生まれ、同じく6歳の頃にはピアノの神童と呼ばれ、母親が病気をして以後、父親とともにハワイに移住したダスティン。奇しくもロスとハワイを行き来しながらすれ違っていた二人は、90年代後半、サンタモニカ・カレッジのアートスクールで出会い、音楽活動を開始する。1996年に初期のデモを集めた「Buxom」を自主でリリース。1998年にはSplinter Recordsから正式な1stアルバム『If You Forget Me』をリリースする。続けてEP「The Ghost And The Girl」をリリースするや、これがコクトー・ツインズのサイモン・レイモンドの耳に留まり、彼のレーベルであるベラ・ユニオンに招待される。2001年『My Beautiful Sinking Ship』リリース。ダスティンのトレードマークとも言えるジャングリーなピアノ、パリジャンスタイルのアコーディオン、そしてリヴァーブにどっぷり浸かったギターがサラの今まで以上にカタルシスなヴォーカルの完璧な土壌となり、アメリカでアンダーグラウンドな成功を収めたあと、ヨーロッパにも飛び火し、東ヨーロッパからロシアまで大々的なツアーが敢行された。そして彼らは、ジョゼッペ・ベルトリッチ(ベルナルド・ベルトリッチの実弟)監督による「L’amore Probabilmente」のフィルムスコアに抜擢され、一躍知名度を上げたイタリアに引越し、3rdアルバム『The Stars at Saint Andrea』をレコーディング。このアルバムはヨーロッパ中にDevics旋風を巻き起こし、Mazzy Star、Portishead、PJ Harvey、Throwing Musesを引き合いに出され、海を越えたイギリスでも、NME、Uncut、Times of Londonといった音楽誌から大絶賛を受けた。この成功を受け、ダスティンはソロ・インストゥルメンタル・アルバム『Piano Solos』をリリース。イギリスのMojo誌や、イタリアのRolling Stone誌で4つ星を獲得し、ドビュッシーやショパン、ベートーヴェンらを引き合いに出されるほどの評価を受けた。2004年、4枚目のアルバム『PUSH THE HEART』を完成させるため、出発点であるLAに戻ってくる。同作は、Devicsの新しい始まりを、そして過去の栄光のハイライトを垣間見せつつ、リスナーを経験したことのない音楽的な旅へと誘う最高傑作となった。モダンかつクラシカルなダスティンのソングライティングは、ソフィア・コッポラの耳にもとまり、彼は2ndソロ『Piano Solo Vol.2』の楽曲を「マリー・アントワネット」に提供することになる。

THE HEARTBREAK MOMENT

木曜日, 12月 15th, 2011

宅録ドリーミー・ポップ・アーティストHER SPACE HOLIDAYことマーク・ビアンキ。恐ろしいほど美しい世界を生み出すポップ&ビート職人ジョゼフ・ナッシング。エレクトロニカにイノセントな風を吹き込む歌姫ピアナ。国籍も性別も異なりながら、必然的な偶然によって導かれた3人によるグローバル・スーパー・ユニット。2006年6月、東京郊外にあるピアナの自宅で録音されたこのデビューEP『THE SOUND OF OUR SUMMER』は、3人が手探りで関係を築きながら、共に音楽を生み出して行く、その空気そのものを封じ込めた、至極プライベートなサウンドスケッチ集になっている。オーガニックでスポンテイニアス。音楽を作る喜びに満ちた、眩すぎる4曲となった。同年10月には、東京と大阪で、3人による合同ライヴを成功させている。

TEX LA HOMA

木曜日, 12月 15th, 2011

UKを拠点に活動するシンガー・ソングライター/コンポーザー/プロデューサーであるMatt Shawによる1人ユニット。バンド名は、Douglas Couplandが1991年に発表した小説『Generation X』から拝借したもの。2002年に1stアルバム『Dazzle Me With Transience』を、微妙にヴァージョンを変えてUK(Superglider Records)と日本(Painted Sky Discs)でリリース。翌2003年には早くも2ndアルバムを『If Just Today Were To Be My Entire Life』をフランスおよびヨーロッパはTalitres recordsから、北米とUKは Hydrid Electric Records からリリースしている。このアルバムでは、Mattのウィスパー・ヴォイス、多彩なディストーション、美しいメロディー、ロー・ファイ・ギター、チル・アウトを演出する電子音、映画的な世界観など、多くの要素が見事に融合されており、高い評価を得た。このアルバムをサポートするために、2003年から2004年にかけて、アメリカ、フランス、スペイン、ドイツ、デンマーク、スイス、イングランド、アイルランド、スコットランドと世界中をツアーして回った。今回レーベルメイトとなったHer Space Holidayとも共演経験がある。また、アルバムの以外にもEPを2枚Superglider Recordsから、2枚Moonpalace records (Spain)からリリースしている他、Melodic (UK), Painted Sky Discs (Japan), Foehn (Spain), Moonpalace Records (Spain) 、 Acuarela (Spain)のコンピにも積極的に参加するなど精力的に活動している。そして2006年、フルアルバムとしては3年ぶりとなる3rdアルバム『SOME LOST BLISS』を、世界に先駆けて& recordsより先行リリース。エレクトロニクスに優しく包まれたMattの繊細な唄心がフルに詰まったまごうことなき最高傑作となった。エレクトロニカが飽和状態を迎え、新たなSSWムーヴメントの喧騒が聞こえてくる現在、より多くの人に彼の唄が響く時代になったと言えるだろう。

DNTEL

木曜日, 12月 15th, 2011

LAを拠点に活動するJimmy Tamborelloによるエレクトロニカ・ユニット。1994年、ブライアン・イーノとハードコアを融合したようなサウンドで、メディアから“イーノコア”と称されたStrictly Ballroomを結成する。バンドではベーシストだったが、同年、Dntelとしても活動開始。Strictly Ballroom は97年にアルバム『Hide Here Forever』をリリースするが、そのすぐ後、ギター/ヴォーカルのChrist GunstがBeachwood Sparksに、JimmyがFigurineに参加することになり、解散。Dntelとして、95年から97年にかけて制作されたトラックは、99年にリリースされた初期音源集『Early Works For Me If It Works For You』で陽の目を見る。翌年には、94年に制作されたEP「Something Always Goes Wrong」がリリースされた。そして、2001年に、ようやく1stフル・アルバム『Life Is Full Of Possibilities』が、地元LAのPlug Research Recordsよりリリースされる。盟友Christ GunstやPaul Larsen(元Strictly Ballroom)をはじめ、Death Cab For CutieのBen GibbardやThat DogのRachel Haden、Slint/For CarnationのBrian McMahan、さらにLAの日系ハーフのSSWでPrefuse 73とも交流のあるMia Doi Toddらが参加したこのアルバムは、エレクトロニカ・ポップの隠れた名盤として、高い評価を得る。そんな中、この1stアルバムでの共演を発展させるような形で実現した、Death Cab For CutieのBenとのユニットThe Postal Serviceの1stアルバム『Give Up』がSub Popよりリリースされる。まさにエレクトロニカ meets インディー・ロックと言ってよいこの傑作は、初めこそゆるやかなスタートだったものの、徐々に話題を呼び、気が付けばSub PopにとってNirvanaの『Bleach』以来となるゴールド・ディスク(50万枚)を獲得するほどの大ヒットを記録する。その後、Death Cab For Cutieがメジャーと契約し、ビルボードで初登場4位となるという現象も、このThe Postal Serviceのブレイクによるところが大きいと言っても過言ではない。あまりの人気ぶりに、アメリカの郵便公社が、“紛らわしい”として、バンド名の使用停止を求めて訴えを起こしたのは有名な話(現在は、プロモーションに協力するということで和解)。2006年には、Jimmyのもう1つの“テクノ”・ユニットJames Figurine名義でアルバム『Mistake Mistake Mistake Mistake』(Kings Of ConvenienceのErlend OyeやRilo KileyのJenny Lewisなど参加)をPlug Researchよりリリースするなど精力的に活動を続ける。そして、2007年、Dntelとしては実に6年ぶりとなる本作『DUMB LUCK』が遂に完成。1曲目のタイトル・チューンは自分で歌っているが、その他のトラックは、前作に続いて参加のChris Gunst(現Mystic Chords Of Memory)、Mia Doi Toddをはじめ、The Postal Serviceも含めJimmy関連作品に3連続参加となるJenny Lewis、Bright EyesのConor Oberst、James Figurineにも参加し、間もなくSub Pop傘下の新レーベルhardly artよりアルバムをリリースするArthur & YuのGrant OlsenとSonya Westcott、Morr Musicを代表するドイツのエレクトロニカ・ユニットLali PunaのValerie TrebeljahrとMrkus Acher、Ninja TuneやWarp傘下のLexからリリースするミネアポリスのバンドFogのAndrew Broder、そしてWarpに所属するブルックリンのバンドGrizzly BearのEdward Drosteなど、超豪華なメンバーが華を添えている。さらに、元Strictly Ballroomで、現Moving UnitsのChris Hatchwellもドラマーとして参加。The Postal Serviceに続いてSub Popからリリースとなる本作は、単なる企画もののコラボ・アルバムなどではない。コラボレーションというもの自体に、アーティスティックな特性を見い出すことのできるJimmy Tamborelloというアーティストの、その10年以上に及ぶキャリアの集大成というべき、堂々たる歴史的傑作。

JAMES FIGURINE

木曜日, 12月 15th, 2011

LAを拠点に活動するJimmy Tamborelloによるテクノ・ポップ・ユニット。Strictly Ballroomで活動していたJimmyが、高校生の時に知り合ったDavidを中心に、Meredithと共にFigurineを結成する。Figurineは、「人形」を意味するFigurineをメンバーのファミリー・ネームとして使用し、80’sライクなシンセをバックに、ロボットやUFO、そしてデジタルな恋愛について歌うという、ディーヴォやクラフトワークに影響を受けた3人組テクノ・ポップ・バンド。1999年に1stアルバム『Transportation+Communication=Love』(blackbean)を、2001年に2ndアルバム『The Heartfelt』(march)をリリースしている。その後、Jimmyは、DntelやThe Postal Serviceとしての仕事が増え、Figurineは活動を停止する。そして、DntelやThe Postal Serviceの新譜が待たれていた2006年、突如として、James Figurine名義でアルバム『MISTAKE MISTAKE MISTAKE MISTAKE』をリリースする。これは、2001年にFigurineとして、Lali Punaと一緒に回ったドイツ・ツアーで、改めてテクノに目覚めたというJimmyの、彼なりの解釈によるテクノ・ポップの集大成。ゲストとして、Erlend Oye(Kings Of Convenience、Whitest Boy Alive)、Jenny Lewis(Rilo Kiley)、そして、Sonya Westcott(Arthur & Yu)等が参加している。Dntelの2ndアルバム『Dumb Luck』日本盤リリースの際に、2006年リリースの1stアルバムが、ボーナストラック2曲を追加収録して、スペシャル・プライスにてリイシューされている。